2020年12月14日。
仕事の昼休み、私は高校時代からの親友に、オンラインストアで結婚祝いを送ろうとしていた。
本州の反対側に住む彼女には、もう何十回も贈り物を送っていた。いつもの誕生日プレゼントを送る時と同じように、住所や電話番号を打ち込んでいく。
ふと、宛名を入れようとして、手が止まった。
私は彼女の名前を、ずっと苗字で呼んでいた。
何百回、何千回と彼女を、彼女の苗字で呼んでいた。
私が入力しようとした名前は、彼女のものではなかった。彼女の伴侶になる人のものだった。
「私が結婚する頃には、とっくに別姓が選べるものだと思ってたけど……」
先日、結婚を報告してくれた電話で、彼女が言った言葉が脳裏に蘇った。
「私が結婚する頃には、とっくに別姓が選べるものだと思ってたけど……」
私は画面をGoogleに切り替え、“選択的夫婦別姓”と検索した。
たくさんの文字が湧いてきた。迷って、“できること”と書き足してもう一度検索した。
スクロールしていくと、『自分の選挙区の議員さんにメールを送ろう』という記事が目に入った。
これなら私にもできる、と飛びつくように思った。
私は、必ず送る、という決意と共に、親友にもLINEでその記事を連携した。
その日はとても忙しくて目が回るようだった。残業を終えて帰り際にiPhoneを見ると、親友からLINEが届いていた。
「せっかくだから送ってみたよ」というメッセージの下に、彼女が自分の選挙区の議員に送った文章が載っていた。
帰り道の電車で、それを読みながら、私は込み上げてくるものを抑えられなかった。
慣れ親しんだ旧姓への愛着と、仕事や手続き面での不利益。未来の日本を支える女の子たちの選択肢を増やしたいという願い。
彼女の聡明さと、強い思いが匂い立ってくるような美しい文章だった。
そしてその思いは、私の思いでもあった。
私は2019年秋に結婚し、改姓した。
友人の中では早い結婚だった。
同じ会社に勤める夫と、結婚後会社に提出する書類を確認していたとき、最初の違和感に気付いた。
夫は2通。私は8通。
更に、職場で旧姓を使い続けるためには別途申請をして、部長の許可が必要だという。
夫の4倍もの量の書類を、なぜ私だけ提出しなければならないのか?
私の名前を使い続けることに、なぜ上司の許可がいるのか?
いくつもの言葉を呑み込んだ。
改姓の手続きの負荷は想像を超えた。目につく部分をひとつひとつ変更するだけで、結婚から1年以上掛かった。
帰宅後、すぐにパソコンを立ち上げて思いを込めて言葉を綴った
私は自分の経験を思い出しながら、親友が綴った言葉を噛みしめた。そして思った。
私は言葉を呑み込まなくてもいい。
私は自分の考えを、然るべき相手に伝えることができる。
相手を説得するために、筋道を立てて理論を展開することもできる。
私たちには力があるのだと。
とても寒い夜だったが、不思議と寒さは感じなかった。私は走るように帰宅して、すぐにパソコンを立ち上げた。
そして一文字一文字、思いを込めて言葉を綴った。
2020年12月15日。
第5次男女共同参画基本計画案の改正案で、選択的夫婦別姓の文言が削除された。Twitterのタイムラインには嘆く声が溢れた。
それでも私は、以前よりも絶望しなかった。
私には社会を望むように変えていく力がある。
その力が私の中に存在している感触を、確かに感じたのだ。
そしてそれは、親友が教えてくれたものだった。
2021年。
私は、自分には何もできないと思うのをやめることにする。
私は私の力を解放し、社会に働きかけようと思う。
そして望む未来に近づいていく。
私たちには、それができるのだから。