去年の夏、わたしたちは都内のカフェで路線図を見ていた。念願の同棲をするために、どこに住むか話し合っていたのだ。
当時、わたしは東京の南のほうに住んでいて、パートナーは北のほうに住んでいた。いつも中間地点で遊んで、バイバイしたり、パートナーの家に帰ったりした。
1人暮らしのワンルームに2人で過ごすのは、狭いけど楽しかった。だってあのときは、2人でいるだけでも幸せで仕方なかったから。いつも別れが惜しくて、もっとずっと一緒にいたかったわたしたちは住む家を探し始めた。
だれかと折り合いをつけながらの「家探し」には思いやりがあった
13時頃、土曜日だったからどのお店も混んでいて、やっとの思いで席を見つけた。東京のカフェは狭い店内に小さいテーブルがびっしり並んでいる。話をはずませる女性グループや、イヤホンをして勉強をしている学生たちの奥の席に座った。
入ってすぐに飲み物を注文した。わたしはアイスカフェラテを、コーヒーが飲めないパートナーはアイスティーを飲んだ。外のむし暑さでほてった体を冷まして、話し合いを始めた。
「記憶力悪いから、書き込まないと忘れちゃうよ!」と言ったら、パートナーは近くのコンビニで2人分のペンを買ってきてくれた。
四角いテーブルに向かい合って、路線図を覗きこむ。まずしるしをつけたのは、2人の会社の最寄駅。次にしるしをつけたのは、2人の実家の最寄駅。わたしたちはお互いのために、会社に通いやすく、実家からほどよく離れた場所に住もうと思っていたのだ。
「職場まで乗り換えは1回までじゃないと嫌だ」
「調べてみたら、その駅の周りは住みやすいって評判みたい」
「けっこう自然もあるんだ。休みの日に公園に遊びに行ったら楽しそう」
「ここなら帰りの電車が重なるから、一緒にご飯食べて帰れるね」
家探しには時間がかかる。まず場所を決めるのでさえ難しかったのだ。
主語が「わたしたち」になると、とたんに難易度が上がる。お互いの生活が不便にならないように、主張したり、譲ったり。2人で折り合いを見つけていく。そこには譲れない意見もあるが、相手への思いやりがあった。
話し合いはなかなか終わらない。アイスカフェラテの氷が溶けて、すっかり薄い味になっていた。
住みたい場所に住んでもいい自由を手に入れたけど
それから1年後の冬、住む場所は自由になった。自由を手に入れたけれど、寂しいような切ないような、よくわからない気持ちになった。気持ちを直視したら泣いてしまいそうで、ふたをしているだけかもしれない。2人でいた時間の穴を、どうしていいかわからずただ眺めるだけだった。
これからわたしはどこに住もう。
ずっと言い出せなかったけれど、住んでみたい場所はたくさんある。海が大好きだから、海の近くに住んでお散歩をしてみたい。暖かい場所が大好きだから、もっと遠くに住んでみるのもいいかもしれない。日当たりがよくて、安くて品揃えがいいスーパーがあって、駅が新しくてきれいで……。でも、実家から遠すぎるのはいけない。大切な家族にはいつでもすぐに会いに行きたい。
いまは自分を愛してあげられる場所を選びたい
住む場所を決める理由には、きっと誰かへの愛がある。父と母は、わたしのために住む場所を決めてくれた。実家からは小学校も近いし、中学校は徒歩5分もかからない。自然に囲まれていて、遊び場がたくさんある。都内の大学に通うことも想定して、電車の便も悪くない。
せっかくだから、できるだけ自分の「したい」を叶えてあげよう。また誰かと住む場所を決めるときに愛を与えられるように。今はめいっぱい自分を愛してあげるときだ。
2021年、わたしは新しい場所に引っ越したい。