お笑い芸人の友近さんとなだぎ武さんが交際していた時、友近さんがバラエティー番組で話していたエピソードが、とても印象に残っている。

特に、かわいらしさと魚の小骨的なものたちは極端に相性が悪い

お二人が交際していたのは私が小学生の頃だったと思うが、今でもよく思い出すエピソードだ。「なだぎさんを好きだと思う瞬間は?」といったような質問をされた友近さんが「魚の小骨をのどにつまらせた時に、手の平に吐き出させてくれた」と、少し照れながら答えていた。

ティッシュペーパーでもハンカチでもなく、手の平ということが、小学生の私には衝撃だった。そして、これこそが愛なのだと大真面目に理解した。相手の肉体や肉体から生じるものを気持ち悪いと思わないこと、そして相手を自然に思いやることこそが、愛なのかもしれない。

大学生になって本格的に恋愛をするようになり、私は相手の魚の小骨的なものが好きになったし、自分も魚の小骨的なものを受け入れてもらいたいと思うようになった。ただ、実践はなかなか難しい。魚の小骨的なものというと、鼻くそや耳くそ、排せつ物やムダ毛といった、結構タブーなものばかりが浮かんでくる。恋に相手への幻想が混じっているとすれば、愛に至るというのは、これらと出合っていくことでもあるのかもしれない。私は相手にかっこよさを求めてしまうし、相手は私にかわいらしさを求めてくる。特に、かわいらしさと魚の小骨的なものたちは極端に相性が悪い。

手を拭いたおしぼりや、鼻をかんだペーパーを、彼の分まで持ち帰る

大学時代の彼氏は、私のメイクや服装についてよく指摘をしてくる人だった。はりきって赤リップをつけてデートしても、速攻歯紅を指摘してきた。確かに、歯紅は恥ずかしいので早く教えてほしいのだけれど、元彼の言い方は冷たかった。「うわ」と引いているニュアンスが含まれていたし、「恥ずかしい」とか「かわいくない」という風にも聞こえてしまった。別れる時にそのことを話したら「他の人に見られたらかわいそうだから、指摘してあげていたのに」とのことだった。その言い方に、魚の小骨的なものを受け止めてもらえている感じはしなかった。

自分がしてほしいことは、まずは自分が相手にしてあげよう。道徳の授業で大昔に習っていそうなことを、私は現在実践している。今年から付き合い始めた彼氏はラーメン好きなので、二人でよく食べに行く。その時、手を拭いたおしぼりや、鼻をかんだペーパーを、彼の分まで持ち帰るようにしている。

魚の小骨には「人間らしいもの」や「小さな気遣い」も含まれている

ラーメン屋のお客さんが食べた後の机には、ティッシュペーパーが山盛りになり、酷い場合には使用済みの爪楊枝が転がっていたりもする。それらを片付ける店員さんは、どんな気持ちなのだろう。魚の小骨には「人間らしいもの」というだけではなく「小さな気遣い」という意味も含まれていると思う。私はゴミを持ち帰ることによって、勝手に彼氏との関係が深まっているように感じるし、店員さんにも気遣いという愛を振りまいているんだと思っている。ちょっとでも相手のためになることができると、それだけで数時間はハッピーになれるから、不思議だ。

ある時、彼氏の部屋で向かい合って話している時に、彼氏が私の鼻の方へ手を伸ばしてきた。話に夢中になっていたから、その時は深く考えなかったのだけれど、後で鏡を覗いてみると結構大きな鼻くそが出ていた。確かに落ち込んだのだけれど、同時に少し嬉しかった。鼻くそを、素手で、取ろうとしたの? 

愛なんて、大げさなものではなくて、私でも叶えられるのかもしれない。