大学2年の冬からシェアハウスで暮らしている。
地元から離れた大学に通ったら、一人暮らしか寮生活が「あたりまえ」だと思っていた。しかし長すぎる独りの時間に飽きてしまった私は「誰かと住みたい」とアパートを飛び出した。気づけばもう一年が経つ。

新しい出会いが私の「あたりまえ」を壊していく

年代も職業も出身もバラバラで、この家でなければ出会うことのなかったような人たちと一つ屋根の下で楽しく共同生活を送っている。共用のキッチンにいれば料理をお裾分けし合い、リビングで誰かが酒を開ければ宴会が始まる。人が集まれば何かが生まれる空間である。

ここでは、私が持っていた「常識」は私以外の全員にとっては「非常識」だ。そもそも大学生は私しかいない。「サークルのミーティングがある」は説明しないとその意味をわかってもらえない。

新しい出会いの連続が私にとっての「あたりまえ」の概念を片っ端から壊していく。もはや何が起きても楽しいと思うだけで驚かなくなっていた。
一番仲が良い住民は4カ国語を平気で操るメキシコ人。海外ワーホリ帰りのお姉さんは見たことない調味料をいつも使っている。
初老の愛称「じぃ」はリビングでお菓子やらお酒やらを皆に配っている。最近、じぃは「結婚したい」が口癖のお姉さんにスタットレスタイヤを買ってあげたらしい。

「推しメン」だった彼からの甘い言葉で、私たちの関係は変わった。

そんな世界性が違いすぎる住民たちの中には「推しメン」がいた。私とさほど歳が変わらないこの人物は、物静かというよりコミュ障。
しかしうるさい他の住民といればむしろ良きツッコミ役。腕全体に刺青があり、慣れるまで凄まじく威圧感があった。
だが、そのイカツイ腕で毎週末チーズケーキを焼いて振る舞ってくれるというギャップが推しポイントである。
誰に対しても優しいこの人を「お兄ちゃん」と私は慕っていた。しかしお兄ちゃんは、他の仕事を見つけたから別の地方に引っ越す、と突然退去宣言をしたのだった。

お兄ちゃんが退去する前日の夜中、部屋に来て欲しいとLINEが来た。餞別とケーキのお礼としてプレゼントを渡していたから、お返しに何かくれるのだろう、と思った。
二つ返事で普段は入らない男性フロアに足音を忍ばせて向かった。

部屋に入った瞬間に「違う」と悟った。
いつも2m以上は身体的距離をとるコミュ障であるはずの彼が、手が届いてしまう距離に座ってきた。私に遠距離の恋人がいると知っていながら、甘い言葉が時折、彼の口から放たれる。
私の知らないお兄ちゃんがそこにはいた。

1時間ほど他愛ない話をしただろうか。
「もう遅いので部屋に戻ります」
立ち上がった私の手を彼は不意に掴んだ。
「戻らないでください」
肩に回ってきた彼の手を、私は丁寧にほどいた。
「お気持ちだけ受け取っておきます」

そう言った途端、呆気ないくらい一瞬で、いつものお兄ちゃんに戻った彼がそこにいた。
それでも私の中で、楽しかった今までの思い出はたった一夜で色を失った。

翌朝、起き出して窓を開けると、昨日から降り始めた雪で外は真っ白だった。
お兄ちゃんは既に家を出て、この街を去っていた。

せめて「さよなら」と言えていたなら、昨夜で崩れたお兄ちゃんの印象は、元の優しいお兄ちゃんに戻るんじゃないかと期待していたのに。チーズケーキの香りも、リビングでの飲み会も、もう温もりを感じられない記憶に変わっていた。

もう二度と彼に会うことはない。彼が私の「『推しメン』のお兄ちゃん」に戻ることもない。
冷え切った思い出に雪が降り積もっていくのを呆然と眺めるしかなかった。

あの夜のことは、何もかも「ふつう」になってしまえば良い

このシェアハウスでは、外の世界では起こらないことが起こるのが「ふつう」のことだ。
この家にいなければ、出会うことも再び関わることもない人たちと過ごしている。だから今日も「なんか面白いこと」が起こる。

お兄ちゃんとの温かい思い出を失くした悲しみも、そうやってこのシェアハウスにおける「また起きたなんか面白いこと」の一つになってしまえば良いのに。

そう願っているのは、本当は抱いている怒りと怯えに蓋をして押さえつけたいからだ。
私に気持ちを押し付けて、身勝手に未練を断ち切り、彼はさぞ満足しただろう。私は一方的に気持ちをぶつけられて、大切な思い出を壊されて、恐怖だけが残ったのに。

世界性が違うから、何を考えているのかわからない相手。見た事のない態度。
夜中、畳の上、敷かれた布団、閉められた内鍵、掴まれた手。
何も起こらなかったから、もう何も考えないようにしている。
でもあの夜、自室に戻ったあと、布団に潜り込んで眠れずに震えていた自分がいた。
本当は傷ついていた。

今まで、チーズケーキを幸せそうに頬張る私をどんな目で見ていたんだよ。
あの夜、私に何をする気だったんだよ。
責めたい相手はもういない。

暴走しそうな怒りを止めたくて、傷ついたことを認めたくなくて、必死で「この家における『ふつう』」のことだと笑おうとしている自分がいる。
あの夜のことは、何もかも「ふつう」になってしまえば良いんだ。

シェアハウスで起こるどんなことも、喜びも憂いも、通り雨のようなものに過ぎないから。
なんで私の思い出を壊したの、だなんて責めたりせずに、些末なハプニングだと笑えればいいのに。
雪に埋もれて、春先には溶けてなくなってしまえばいいのに。