「大学生にもなったら、ふつうは夢なんて諦めて就職するけどねえ・・・。のびのび育てたら夢見させすぎたわ。」

私に似合わないふつうを母が求めてくるから、不思議でしょうがない

母に言われて最も傷ついた言葉だ。小さい頃は夢を持つことはすばらしいと教えられるのに、どうして大人になると変わってしまうのだろう。
そしてどうして母は特殊な環境で育ってきた私にふつうを求めるのだろう。

私は3歳から韓国、シンガポール、中国と父の仕事の都合で海外を転々としながらふつうじゃない経験をしてきた。日本に帰れば帰国子女の転校生としてTHEふつうじゃないヤツ扱い。そりゃそうだ。私は海外で異文化異宗教の中で学び、育ってきたのだから、日本にずっと住んでいる人とは性格や価値観が違う。だから私にふつうは全然似合わない。なのに母が私にふつうを求めてくるから、不思議でしょうがない。

0.01パーセントの可能性を目指し、茨の道を歩もうとしていた

しかし同時にふつうを越えようとしてごめんなさいという申し訳ない気持ちもあった。より安心安全な就職の道を選ばず、0.01パーセントの可能性を目指し、茨の道を自ら進んで歩もうとしていたのだから。当時、私の心はこんな言葉たちで埋め尽くされていた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい生きていてごめんなさい生まれてきてごめんなさい夢を持ってごめんなさい息を吸ってごめんなさいふつうになれなくてごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・」

危険な道を歩む前に夢を諦められてよかった、という安心感もあった

結局私はふつうを越えられず、夢をあきらめた。メンタル面で挫けてしまい、夢どころではなくなってしまった。要するにふつうの仲間入りをしたのだ。最初は母が求めるふつうにどんどん近づいている気がして、怖かった。しかし危険な道を歩もうとする前に夢を諦めることができてよかったという安心感もあった。

スターになりたい夢を叶えられなかった点でふつうを越えられなかったものの、今私はGo To トラベルで行ったことのない場所へ旅行してみたり、友人とカフェを楽しんだり、ドイツ語でオペレッタを観劇したり、卒業論文に取り組んだりと色んな将来の可能性を考えて、自分なりの表現や感性を磨いている。夢はなくなったけれど、また次なる新しい人生の扉が開かれているかもしれないと想像すると嬉しく思う。

最後に今回「『ふつうを超えてゆけ』」というテーマで応募できたのは、「ふつう」に対して悲しい思い出があったからなので、母に感謝したい。また自分の文章が公開されることで、もっと多くの人に自分の「ふつう」で人を傷つけていないか、振り返るきっかけになればいいな、なんて少し思っている。