「自分の殻を破りなよ」
「そうやってまた殻に閉じこもるんだ?」
会社員の頃、上司から言われた。
求められたことに応えられなかった時、疲れて会社の集まりに行かなかった時に言われた言葉。
自分の殻を破ることが出来れば、会社が理想とする、明るくて堂々として人前で何でも出来る人間になれるんだと、その頃の私はそう信じていた。
そして、いつまで経っても殻を破れない私は、
「ああ、殻を破れない私はなんてダメな人間なんだろう」と思うようになった。
会社の求める人間を演じ、自分は「ダメな人間」と思い知らされた
小さい頃から人見知りで、時間をかけないと人と仲良くなれない。人前に出るのは怖くて緊張する。でも社会に出ればそれは通用しないと教わった。仕事なのだから、何でも出来るようにならないといけない。無茶ぶりにも応えないといけない。誰かが歌い始めたら、一緒に歌って盛り上げないといけない。常に笑顔で、しっかり人とコミュニケーションをとって、リアクションをしないといけない。それが、仕事なのだから。
慣れてくれば、それなりに会社の求める人間を演じることが出来るようになった。そういった人間を演じれば、結果もついてきたし、自分自身も成長を感じていた。
その半面、私生活は散々で食事は外食ばかりで洗濯はためっぱなし。掃除もろくにしないような状態だった。休みの日は何もしたくない、ずっとずっと、眠っていたかった。仕事ばっかりしているんだから、しょうがないでしょ、と言い訳をしてまた眠る。
そんな毎日が続いていると、会社に行くことを億劫だと感じる日が少しずつ増えていった。やらなければならない仕事も、コミュニケーションをとりにいかなければいけない相手もたくさんいるのに、会社に行きたくない。ベッドから出たくない。このままずっと眠っていたい。そんな状態で仕事に行っては夜遅くに帰ってきて、ベッドに入っても次の日が来てしまうのがすごく嫌で、眠りたいのに眠れないという日々がやってきた。
会社の求める人間を演じながら、その人間が認められていくうちに
普段の自分は「ダメな人間」なのだと思い知らされることがとても辛かった。
駅のホームに飛び込みそうになって、「休み」が必要と気付いた
そんな状態でのある夜。
仕事終わりの疲労感でぼーっとしながら電車を待っていた。
ホームに入ってくる電車のライトをぼんやり見ながら
「ここで飛び込めば一瞬なんだろうな」と心の中でつぶやいた。
我に返った時、自然にそう思ってしまった自分に恐怖した。
ホームの先頭から後ずさり、柱にそっとつかまった。
自分が何をするか分からない、信用ならない。と思ったのだと思う。
ここで私はようやく、ようやく、自分の心身が疲れているんだなと気付いた。
駅のホームに飛び込む…そんな怖ろしいことをする勇気があるのに、何故生きることを選ばないのか。これまで純粋な疑問だったけれど、痛感した。
これは勇気の問題ではなかった。勇気なんて使っていない。
楽になりたくて、自然と飛び込んでいるのだ。引き寄せられるように。
これがきっかけで、自分が何をするべきか分かった。
まずは会社を辞めて「休む」ことだ。
「休む」という目標が出来てから、終わりの無いループから抜け出せたような気がした。もう、演じなくてもいい。
自分の意思で会社を辞めるという決断をしたことで、求められる人物像を演じていた時の苦しさを認め、受け入れる事ができた。
自己理解を通して、ダメな人間なんかでは無かったんだと知っていく
会社を辞めてゆっくり休む中で、私は何故会社を辞めるまでに至ったかを冷静に分析して、言葉にしたいと考え始めた。
自分の性格が合わなかったんだろうか?自分の性格ってそもそもなんだろう?そんな疑問を持つようになってから「自己理解」に関する知識を学ぶようになった。
ストレングスファインダーやFFS理論、外向型・内向型の違いなど、様々な自己理解に関する知識をつけていく内に、自分がいかに自分のことを分かっていなかったかを知った。だから、演じることであんなに苦しんでいたのだと理解した。
会社の理想とする人物像を無理やり自分にあてはめて、自分の気質や性格を全て否定して、「ダメな人間」だと自分を否定してしまっていた。
自分の性質を知り、心の声にしたがうようになると、気持ちがとても穏やかになった。
やりたい事、やりたくない事を自分で判断して進んでいける。
そうやって少しずつ、ダメな人間なんかでは無かったんだと知っていく。
他者に批判されていた「殻に閉じこもる」ことは、
私にとってはとても大切なことで、否定されることではないのだと今は言える。
私は自己理解という武器で、自分の人生を自分らしく生きていきたい。