私は29歳。「かがみよかがみ」に投稿できる20代最後の年だ。だから若い貴女にとって、この記事はピンとこないかもしれない。
だが貴女が30歳を控えた未来、もしかすると記事の存在を思い出して腑に落ちる瞬間があるかもしれない。そんな淡い期待を抱いてここにしたためよう。(あんまり憧れない未来かもしれないが)

妊娠・出産とは縁のない女になれ

私の2021年の目標は「妊娠・出産のことを気にせずに今を生きる」。「気にせずに生きる」とはどういうことか。逆に気になってしまいそうだ。
オカルト好きな私に言わせれば、「気にしない」ことと「縁を断ち切る」ことは似ている。つまり、妊娠・出産とは縁のない女になればいいのである。

逆に「縁ができる」というのはどういうことか。どうやら、心霊的な存在との縁は相手を認識するだけでできてしまうようだ。だから、見てはいけないものを見てしまったら、「お化けなんていないさ」と頭の中でしばらく唱え続けるようにするといい……らしい。言霊の力を借りて縁を断ち切る。
これを私の目標に落とし込むと、「子どもはいらない」と言えばよいのである。

しかし、言うのはなかなか難しい。
「子どもはいらない」と言えば、母に泣かれ、夫の親戚の前ならば「悪い嫁をもらった」と陰口を叩かれるだろう。そして、妹や友人からは白い目で見られる。ああ、とても安易に光景を想像できるのが自分でもおそろしい。

男性に比べ、女性のほうが「子どもはいらない」と言うことに勇気がいるのではなかろうか。理由は女性らしからぬ発言だから。「女性らしさ」の中にはどうしても、甲斐甲斐しく我が子の世話をする母親像が存在感を放っている。
そして、「子どもがいるよさをわからないなんて女失格!」といった反応を生み出す恐れがある。子どもが生まれると夫婦にこれまでなかった仲違いが生じるとは聞くが、女友達の中でも亀裂が起きるケースもある。

アラサーで結婚したら「子どもまだ?」バズーカ攻撃開始!

結婚してまだ2年も経っていないのに、すでに「子どもまだ?」の直接攻撃を2発、間接攻撃を1発受けた。

今年2020年9月の土日に帰省したとき、中学時代の同級生グループに呼びかけてお茶をした。幼い男児をもつ親友とおしゃべりしていると、「突然帰ってきたから、子どもができた報告をするために帰省したのかなと思った」と言われた。藪から棒の直接攻撃。正直に、しばらく子どもは考えないつもりでいることを伝えた。

結果として、バカ正直に話すべきではなかった。適当にはぐらかせばよかった。
あのときの親友の目は今でも忘れられない。優しい親友があんな目をするなんて中学生のときから一度も見たことがなかった。私の話を聞いたとたん、彼女の目がだんだん冷たくなっていくのを感じた。

アラサー既婚者が「子どもがほしい」教に入信しなかっただけでこの態度の変わりぶり。悲しいを通りこし、その理不尽さに腹が立った。ぶっちゃけ、今も怒って書いている。

さらに追い討ちをかけるように、他の友人が「みんなお母さんになっていくねー」なんて言う始末。まさに針のむしろ。おしゃれカフェを探して予約して、サプライズケーキを注文した私の手間を返してくれ。
アラサーで結婚したら、すぐに子どもつくらないといけないなんてだれが決めたんだ!

実はこのとき、同級生グループのうちの一人が妊娠中で参加することができなかった。彼女の結婚式は私よりも2カ月あとだったのに、不妊治療をしていて今夏に授かったらしい。スピード妊娠だ。
同じ年齢で不妊治療をしている人が身近にいることを初めて実感し、不安になった。これが間接攻撃である。今は「子どもはいらない」でも、年をとってから「ほしい」に変わって不妊治療をすることになったら、過去=今の自分を責めはしないか?しばらく胸がざわざわしていた。

孫・ひ孫の顔を見せるのが人生最高のプレゼントなのか?

同級生に会った翌日、祖父に会いにいった。祖父からも「子どもは考えとるのか?」と聞かれた。とてもダイレクトだが、まあこれは想定していた。昨日の失敗を思い出し、ちゃんと話をはぐらかせた。

このときの感情は昨日とは正反対だった。
祖母に先立たれ、精神的に老いた祖父にひ孫が見せられないのは申し訳ない……と感じた。「孫の顔を見せるのが最高のプレゼント」という言葉、自分が子どものときは存在するだけで祖父母を喜ばせられる!ということで誇らしかった。しかし今となっては、これは呪いの言葉だ。
ご期待に添えるような大人に育たずに申し訳ない。「子どもはいらない」私を認めろ!と主張する自分がいる一方で、「ごめんなさい」としょぼくれている自分もいる。

産休に入る先輩からの意外な言葉

職場の先輩が来年2021年2月から産休に入ることになった。彼女とチャットをしているときに、「子どもまだ?攻撃が怖いんですよね」と愚痴ってしまった。おい、おめでたの人になんてこと言ってんだ。完全に先輩の優しさに甘えた失言だった。
しかし、先輩からは思いもかけない返信が返ってきた。

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私も実のところ、子どもをつくるべきか葛藤があったり、いざほしいと思ったところですぐ授からなかったりしました。
結果的に妊娠したけれど、流れに身を委ねてしまっている感じなので、こういうのって縁というか、運命みたいなところありますよね。
人生ひとそれぞれなので、その人なりの人生を謳歌するのが一番だと思っています。
(中略)
この年になるとあるあるネタですよね(笑)
そういえばAさんも前に似たようなこと言っていたなーと思い出しました。

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確かに。「子どもがほしい」教に入信しても授かるとは限らないのだ。それなら信者も信者でない人も、今を大切にするのが自分にとってベストな生き方じゃないか?

子どもを考えるよりも今このときを大切にすべし

子どもを授かった女性から「子どもをつくるべきか葛藤があった」と聞けたのは、私にとって大きな救いだった。
そしてこの記事を書き上げた本日、結婚を考えている先輩から雑談で「失礼かもしれませんけれど、子どもは考えているんですか?」と聞かれたのに対し、「しばらくは考えていないですねー」とちゃんと言えた。相手が男性だったから言いやすかったのもあるかもしれない。彼も夫婦と猫とで生活することを望んでいるらしい。
「子どもはいらない」と言えば、意外に「私も」という人がすぐそこにいたりするのかもしれない。

とりあえず今は、うまくいっていない仕事をうまくいくようにしたい。仕事や上司を通して自分と向き合うのはとてもしんどい。自分を変えるなんて億劫だ。でも自分のことはあきらめておきながら、子どもに対して過度に期待をかけるようなダサい母親になんてなりたくない。これは中学生のときから誓っていたことだ。(ちなみに私の母のことではない)

子どもは親の言うことよりも親の背中を見て育つ。母親になった自分なんて全然想像できないが、まずはいち大人として、ある程度のかっこいい背中をつくり上げていきたいと思う。