幼い頃は、ショートヘアの短い髪を揺らしながら、ずっと外を駆けまわっているようなお転婆な子供だった。今だって、道を歩くのにつれてあっちこっちとご機嫌に揺れるショートヘアは私のお気に入りだ。
成人式のカタログに並ぶ、上品なまとめ髪。その「普通」に嫌気が差す
成人式だからといって、髪を伸ばすつもりはこれっぽっちもなかった。
でもそれは「普通」ではないと、多くの人に指をさされて言われた。大学の友達が口をそろえて言う「成人式のために髪を伸ばしているの。」という言葉は、まるでその後に「だってそれが普通でしょう。」といわれているようで嫌気がさした。前撮りの時にヘアメイクさんが持ってきたカタログに載っているのは、全部上品なまとめ髪。肩より短い私の髪をみて「カタログの中から好きな髪型を選んでください。つけ毛をつけて、そこから可愛くヘアアレンジしていきますね。」と言った。
私はつけ毛なんてつけて欲しくなかった。このままでいいの。自分のお気に入りのショートヘアのままで写真を撮りたいと言おうしたその時「よかったわねぇ、つけ毛をつけてもらえて。この髪型とかいいじゃない。」「やっぱり振袖はまとめ髪よね。」と聞こえたのは、撮影についてきた祖母と母、そして姉の声。私に似合う髪型を楽しそうにそして真剣に選ぶ姿をみて、私はその言葉をぐっと飲み込んだ。「このままがいい。」とその一言を言う勇気が出なかったのだ。結局、カタログの中から無難な髪型を選んで写真を撮った。
出来上がった写真をみて、家族はみんな喜んでくれた。そして、「成人式までに髪伸びるといいわね。なんたって一生に一度しかないのだから。」そう言われて私は頷いた。うまく笑えていただろうか。
お気に入りの髪型で何が悪いの?大丈夫、私らしくていいじゃん
私は誰かに「ショートヘアでもいいんじゃない?」と言ってほしかったのだ。「振袖にはまとめ髪」という「普通」を押し付けないでほしかった。
でも私は知っている。祖母や母が私に「普通」を押し付けているその力は、愛情なのだと。幼い頃からずっとショートヘアの私を、せめて成人式の時だけでも女の子らしく、皆と同じようにという気持ちからなのだ。
その愛で押し付けられた普通という壁はどんな壁より高くて分厚い壁。家族の愛情は時々煩わしいものとなる。
消化不良のまま前撮りが終わり、これでいいのかと自問自答していたらふと目に入った昔の写真。そこには私と祖母の姉に当たる大叔母が映っていた。忙しい両親と祖父母にかわって、私は幼い頃から近所の大叔母のところに預けられていた。歳を重ねてもいつも背筋をピンと伸ばした凛々しい女性だった。
彼女がこの前撮りの写真をみたらなんていうだろうか。喜んでくれるだろうか。いいや、多分、違う。いつも私に言っていた「あなたはどうしたいの?自分のことは自分で決めるのよ。」と。
きっと大丈夫。
誰も言ってくれないなら私が私に言ってあげよう。「ショートヘアでもいいんじゃない?」
やっぱりショートヘアがいい。大好きな彼女に、私の一番きれいな姿を
成人式が目前に迫ったある日、美容院から帰ってきた私に家族全員の目が点になった。みんなに内緒で肩まであった髪をバッサリと切ったのだ。ショートヘアにクルクルのパーマをかけた私をみて沈黙。そして、どっと笑いが家族を包み込んだ。「やっぱりあなたはショートヘアが似合うわ。」私もつられて大きな口を開けて笑った。
姉のおさがりの黒の振袖を着て、髪飾りは真っ赤な椿を一つだけ。着付けが終わった私は、家から続く1本道を歩く。昔は何度も通った道。外で思いっきり駆け回った後に大好きなあの人に会いに行く道。朝も早いのにその人は外に出ていた。「おはよう。今日はね成人式なんだ。」話しかけても返事はない。大叔母は脳梗塞の後遺症でもう私の名前も思い出せない。初めてそのことを知ったとき無性に悲しくて大学生になってからは大叔母の家に全く足を運んでいなかった。けれど今日だけはどうしても会わないといけなかったのだ。
彼女は、ゆっくりと私の姿を見ると、「きれいだねぇ。きれいだねぇ。」といい昔と同じように私の短い髪を撫でてくれた。私は涙があふれてくるのをこらえて、背の曲がった小さな体をぎゅっと抱きしめる。「いってきます」といって駆け出した。
1月の冷たい風に振袖とショートヘアがなびく。