『青春』と呼ぶにふさわしい、短くて色褪せない思い出

 夏の夕方は長い。蝉の合唱に赤黒い夕焼け、どこからか届いてくる野球部の金属音に、吹奏楽部の音色も。どれだけ部活をしても全く時が進んでいないように感じてしまった。

 実際、時計の針は確かに動いているのだけれど。こんな事を考える時点で、当時高校生だった私は部活に対してそこまで熱を入れてはいなかったんだろう。

 かといって、学習塾に行くわけでも、別の習い事に通っていたわけでもない。とにかく普通の生徒で、『家に帰りたくない』があの頃は口癖だった。帰らないからといって、特にすることもなかったのだが。

 17歳の夏、私の人生でいちばん輝いていた瞬間がある。『瞬間』と呼ぶには少しだけ長く、『青春』と呼ぶにふさわしい短さ。高校一年生で知り合った友人との下校時間が今も色褪せない映画として、ふとした瞬間に再上映が始まる。

数本の電車を見送ったあの時間は、何よりも輝いていた

 彼女は理系、私は文系、彼女は自転車通学、私は電車を利用、彼女は学年順位が1ケタの秀才、私は凡人。まるで接点も類似点もない筈なのに、入学式の座席が隣だった。それだけの理由で、気付けば親友になっていた。

 人格的にも優れていた彼女は、校門から駅までのたった500メートルという距離を、いつも自転車を押しながら一緒に帰ってくれた。アスファルトに細長く伸びる影、すぐ隣の金属フェンス越しを行き来する電車たち、踏切を前になんとなく別れ惜しくて。

 いつも数本、電車を見送った。けたたましく警笛を響かせながら目の前の遮断機が上下運動を繰り返す。

 社会人になり、取引先や会議場所への移動と、時刻表に追われている今ならハッキリ分かる。あの日、鉄道ダイヤをスキップ出来た瞬間は、確かに眩しかった。

 日に焼ける肌すらどうでもよくて、照り付ける西日よりもキラキラした下校時間を。ずっと留めておきたい、時間をここで切り取ってしまいたいと。

 17歳の私はただ必死に願っていた。

あの夏からの再会。私は思いがけず素直な思いを口にした

 コロナ禍なんて単語をまだ誰も知らなかった数年前、大学生になった私たちは再会する。昼食を食べて、商業施設をぶらぶらしたり映画を観たり。また高校生に戻りたいとは1ミリも思わなかったが。あの頃の瞬間に、君と居続けたいと、こっそり願ったりもした。こうして会えているだけでも僥倖なのに。

 雑貨屋に置いてあるパーティーグッズを眺めていた時、ふと私の口が動いた。『高校の頃、いちばんの思い出ってある?』と。急な質問すぎて彼女は笑う。質問したのは私自身なのだから、先に答えを出そうとした。

 ふと迷った。『君と帰っていた時間』と伝えるべきだろうか。だが、親友が真昼に突然センチメンタルな事を話し始めたら、流石にヒかれるかもしれない。
 店内に流れる邦楽を時間稼ぎに利用しながら、私の脳内は必死に話題の着地点を探していた。偏差値のない頭で、何かを取り繕おうとして。

 結果、無理だった。私は素直に、さっき思いついた通りの言葉を口にしていたのだ。あの眩しい思い出に及ぶものなんて何もない。

 少し驚いたような君の顔、それからゆっくり、何かを咀嚼するように頷く。
 『私も同じかな』と、聞こえてきた音に。心底、震えた。これが純粋な喜びだったのか、彼女の気遣いに対する感謝だったのか、己の思い出に酔いしれる快感だったのかは分からない。

 それでもまた、大人になっても。私は君に会いに行くだろう、今夜の様に『元気かな』と身を案じ。ふと見つけた街灯広告や聞こえてきた音楽に、あらゆる場所で。何度でも君を思い出す。

 電車を見送った夕日と夏の匂いの中で。何度もスキップを、君に乞う。