私は夏が嫌いだ。
容赦なく照りつける日差しにまともに目も開けられなくなり、低血圧の身体は余計にだるくなる。頭痛はするし、最悪なことに、日に焼ける。
私が人より肌が白いことを自覚したのは高校生の頃。それ以来、徹底した日焼け対策を行ってきた。大学時代の登下校には、今ほどメジャーじゃなかった日傘を広げ、アームカバーをはめ、サングラスで坂道を登り降りした。電車では日差しが顔に当たらない席にしか座らなかったし、昼間は極力外に出なかった。
そのかいあって、今でも人より色が白い。いつの間にか、より一層夏に弱い身体になってしまったけれど、それで自分の素肌を好きでいられるのなら、なんの問題もないと思っていた。
「直射日光に弱いので、行けません」と会社の野外イベントを断った
ところが、社会人になり、大きな壁に激突した。
「これ、参加するだろ」上司がそう言って手渡してきたチラシには、会社が参加する真夏の野外イベントの日時が記されていた。強制ではないし、全員は来ない。だから労働ではないし給料も出ない。けれど、そこには若い女性を集めたいというトップ層からの圧力と、それに屈した上司の強要があった。
真夏の日差しの中、日傘もささずに屋外にいれば、間違いなく体調を崩す。けれどそれは、私以外の人に実感として伝えることは難しいことだった。
「私、直射日光に弱いので、無理なんです。行けません」
勇気を出して、はっきりとそう言った。ノリが悪いことも、若手として参加したほうが体裁がいいこともよく分かっているけれど、私はどうしても、はいと言うことができなかった。日焼けを気にしたことのない男性陣にはわからないだろう。夏の日差しで寝込んだことのない人にはわからないだろう。わかってもらえなくてもいい。そう思った。これは、譲れないものを守るための私の戦いだ。
「またまた。日差しなんてそうないって。日陰にいたらいいからさ。若手は一回は行くでしょ普通。あいつも、あいつも、みんな一度は行ってるよ?」
上司はそう言って引き下がらない。
「無理なんです。ほんとに、暑いの苦手で、体調崩すので」
強い日差しで荒れた肌に、誰が責任をとってくれるのか。暑さで寝込むのが1日だけでも、何十年か後に現れるシミを、誰が一生抱えて生きていかなければならないと思っているのか。そして、そのように荒れた肌を蔑んでくるのは、あなた達のような無神経な男性ではないか。そんな気持ちがこみ上げる。
好感度のようなものと引き換えに、健康と白さを勝ち取った
「行かないとだめでしょ。えらい人たちもくるんだからさ。女の子がいなくちゃ」繰り返されるやり取りの中でだんだんときつくなってくる上司に、私はついにこう言った。「仕事じゃないので、行きません」それは一番言ってはいけないセリフだと直感的に分かっていた。なぜならそれは、本当のことだから。
困った上司は、案の定怒った。そして、上司のそのまた上司に、チクった。「さっき言ったこと、言ってみろよ」と凄まれた。私は言わなかった。「『仕事じゃないから行かない』って言ってきたんですよ」私の代わりに上司が言った。
やっちまった。心の中で、そう思った。言わせたのは上司だけれど、けれどそれは上手に包み隠され、私の発言だけがその場に刻まれる。
結局、上司の上司は笑って許してくれ、お咎めなしだった。そして、私は最後まで首を縦には振らず、イベントにも行かなかった。好感度のようなものと引き換えに、健康と白さを勝ち取った。そうしてまた、夏が少し嫌いになった。
流されて、大切なものを失いたくない
もはや、どうして自分がこんなにも、白い肌に固執しているのかわからない。けれど納得のいかない形で唯一のチャームポイントを失いたくはなかった。
若き社会人としての私と、私自身が愛せる私。天秤にかければ圧倒的に後者が勝つ。だって私は私を、使い捨てになんかできない。けれど、私から若い女性社員というレッテルが剥がれ落ちたら、会社はいともたやすく私を使い捨てにする。流されて、大切なものを失って、傷つきたくなんかないんだ。
だから私は、大切なものを守るために戦う。10年後も20年後も、白い肌で笑っていられるように。