高校一年の冬、私は唇の下の右側にピアスを開けた。

人はすぐに裏切るし、見下す生き物だと知ってしまってからは、人と上手く付き合っていくのが下手くそになった高校生の始まり。信じて愛して心を通わせたいと信じる自分と、誰も信用できないと疑い続ける自分との戦いは永遠と続くしもう嫌気がさす。

高校一年の夏にはギャルになってみた。前髪を伸ばしメイクを濃くし、私にはあまり似合わない服を身に纏うようになったことを今思い出すと、あの頃の私は必死に生きていたんだなと思う。

自分のことが嫌いな私が見つけた楽になる方法は、唇に開けたピアス

毎日が辛くて仕方がない、逃げたい、苦しい。
自分のことが嫌いで嫌いで仕方がない私は、夜中の洗面所で泣きながら口にピアスを開けた。涙は、上手く開けられずに何度もピアッサーを動かした痛みによるものでもあるだろう。自分を楽にしようと必死にもがいてもがいて、見つけたものがピアスだったのは何故だろう?

今の私にもわからないけれど、ピアスを開けてから、自分のことを少しずつ好きになっていった。口の下にポツンと、キランとひかる丸い銀色の玉は、私が私のために作った「個性」のような気がする。
それからは少しずつ、私の好きな私を見つける日々が始まった。髪の毛を刈り上げ、前髪はオン眉、口の下には二つのピアス。なにもなかった私が大嫌いで苦しくて仕方なかったのに、自分のことを少し好きになるとこんなにも生きていきやすい。

でも社会はそんな私とは波長が合わないみたいで、私には必要のない「校則」というものに迫られることが増えた。口のピアスも髪の刈り上げも、「普通じゃない」の一言で片付けられて私のことを否定する。

普通ってなに?個性が認められないなら、自分が自分を好きになる

「普通とは何だろうか?」と考える。でも結局人間みんな他人だし、みんな違う。だから「個性」が存在するはずなのに、それを認めてもらえない社会はどんなものなのか。
でも今考えると、泣きながら怒られ否定される時間は私にとって苦痛でしかないが、その分自分のことを認めてくれる場所を探す力にもなったのかもしれない。

私を含め弱い人間には、必ず承認欲求があると思っている。自分のことを認めてくれる人間が必要だ。だけど本当は、自分自身のことを自分で好きになることは一番大切なことだと思っている。私は口にピアスを開けたことから始まり、今の自分のことがすごく好きだ。

「普通」の壁とぶつかった時は、自分の好きを選んで生きて

「個性」は自分のことを好きにさせてくれる大切なモノだと気づいた。
「普通」という壁にぶつかることは、「普通」以外の「個性」を持つ人間に当たり前に訪れることなのかもしれないが、誰かの普通といくら向き合ったって分かり合えないことは当たり前にある。そんな時は、自分の好きな方を選んで生きようと私はもう決めた。

このエッセイが「普通」とぶつかる誰かの力になることはあるのだろうか。
自分を好きになるきっかけや自分を認める手段はどこで得てもいいと、私は思っている。大切な家族や、親愛なる恋人や友人でも、SNSだって構わない。自分のことを好きになるために、認めてくれる「誰か」と、自分の自信に繋がる「個性」を大切に生きていきたい、あなたと。