指輪。小さな輪っか状の、指にはめる装飾品。
私は10代の頃、このアクセサリーをただの贅沢品だと認識していた。富や栄光を他人に見せびらかすための飾りだと。
しかし私は20代になってから、指輪に対するイメージが変わった。それは、人から特別な指輪を贈られるという経験が2度、あったからである。1度目は母から、2度目は旦那から。
私達夫婦はデキ婚だった。お叱りは甘んじて受ける。様々な運と縁が重なったお陰で、今は4人家族(来年春にはさらに1人増える)となり順風満帆にやっている。
しかし新婚当初を振り替えると、それはもうハチャメチャな日々だった。デキ婚経験者なら分かると思うのだが、未婚の妊娠というのは、検査で陽性を確認した途端に、日常生活の全てが天変地異。私達も当時はその例に漏れなかった。到底リアルには想像できない、数ヶ月先の予定が、どんどん流れ作業で決まっていく。私はチェックリストに印を入れながら、ただその波に乗っているだけ。
婚約指輪はいらないという新米主婦の判断に、母が差し出したもの
つわりが落ち着いた初夏の頃、私は旦那と2人でデパートのジュエリーコーナーに行った。チェックリストの項目の1つ、結婚指輪を選ぶ為だ。私は旦那に「婚約指輪はいいよ、今回は2人でお揃いの結婚指輪を選ぼう」と言った。それは、「今、婚約指輪の宝石にお金を掛けるべきではない」という、新米主婦の判断だった。
私達はその時の予算で、お揃いの結婚指輪を買った。後日その指輪は出来上がり、結婚式の準備も着々と進んでいった。私は彼と一緒に暮らし始めた。
式が近づいてきた頃に私は帰省した。
実家近くの人気のカフェで実母と弟と当日の段取りを話し合うことにした(弟を誘ったのは、弟も紅茶好きだから)。私達3人は美味しい紅茶とケーキを飲みながら話し合った。
その途中、不意に母が「これ、式の時に使って」と言って、小さな紙袋を私に差し出したのである。
中を覗くと、真っ白な生地に包まれたコロンとした形のケースが入っていた。私がそれを手のひらの上でパカッと開くと、中にはダイヤの粒が輝く、婚約指輪が入っていた。
母が用意してくれた心遣いと、新米主婦が旦那のためにした気遣いと
私の母は「とりあえず式にはそれを付けていって。後々、もっと大きいダイヤのやつを、旦那さんに買ってもらいなさい」と言って、笑った。私は涙が止まらなくなった。
当時高校生だった弟は、その不思議なやり取りを見て、笑っていた。
私自身は当時、婚約指輪を用意しなかった事に対しては大した思いを抱えていなかったのだが、母は私の為、そして私の幸せを祝福しに集まる親族を安心させる為に、指輪を用意したのだと思う。そして、私の旦那を一先ずホッとさせる為にも。
旦那はあの日ジュエリーコーナーでも、その後の事あるタイミングでも、私に聞いてきた。「本当に婚約指輪要らなかったの?」と。旦那は結婚指輪と婚約指輪を、同時に買いたかったのかもしれない。
それは私への愛情であったり、世間体であったりしたのだろうか。直接確認したことはないけれど、きっと私という財布の紐の硬い新米主婦の一決断が、複雑な気持ちを抱えさせてしまっていたのだろう。
それでもその頃の私は、これから始まる未知の暮らしを前に、婚約指輪にお金を使うという気には一切なれなかった。
結果として財布をガバッと開いたのは母になった訳だから、私の判断も今思うとただのエゴだったのかもしれないし、その上旦那を余計にモンモンとさせてしまっただけなのかもしれない。
私は結婚式当日、旦那と2人で選んだ結婚指輪と、母が買ってきてくれた婚約指輪を重ねて、左手の薬指にはめた。それが未熟な2人の門出だった。
突然連れていかれたラグジュアリーな空間で交わす小声の会話
そしてその後長男が、更に次男も生まれ、少し経ったある日。家族4人でお出掛けをしている最中の事。
急に旦那が「デパートに入ろう」と言い出した。私の脳内は(???)だったのだが、彼は1人ベビーカーを押して足早に、1階化粧品売場をズンズン進んでいく。
え、子供服フロア(のトイレ)にいくなら、エレベーターはあっちだよ?と引き止める間もなく、彼は何とティファニーに入っていった。
広がっているのは、我が家に全く縁のないラグジュアリー空間。そこで彼は、私に言ったのだ。
「着けるならどれがいい?」
え?ティファニーで??いやいや、確かに以前私は「ティファニー、いいよね!」的な呟きはしたけれど。
というかそんな高価なものもらえないって。てか、買えないでしょう……
という、デパートの1階にはまるで相応しくない会話を小声で交わす、我がカジュアルファミリー。
旦那は「いや、だから。着けるとしたら、だってば」と笑った。あぁ、仮定の話。はいはい。
「えっと、……これかな?…あと、これもかわいいかも。でもチェーンだから優しく扱わないとだめかなぁ(ヒソヒソ)」
……はぁ、ドキドキし損だった。その日は当然、何も買わずに帰宅した。
2つのサプライズは大切な人との繋がりを確認できるかけがえのない輪っか
そして後日。私達夫婦の家に、ティファニーブルーの紙袋が、旦那に連れられてやって来た。「今度友達の結婚式でしょ?これ着けて行っておいで」。中には1粒のダイヤモンドが輝く、私が百貨店の1階でかわいいと言った、あの指輪が入っていた。
サプライズって、好き嫌いあると思う。そして、宝石の付いた指輪に対して何を感じるかは、人それぞれだ。しかし私にとって、こんなに愛のつまった2つの指輪、2度のサプライズは、この世の中に、他にはない。
それらの指輪はどちらとも、ただの贅沢品ではなく、他人に見せびらかすためのものでもない。
私の事を思って贈ってくれた母や旦那との繋がりを、時折指にはめて確認できる、掛け替えのない輪っかなのである。今の私は、そう感じている。
もしも産まれてくる3人目の赤ちゃんが女の子なら、今度は
旦那の婚約指輪は、私達2人の式には間に合わなかったけれど、友人の晴れの日には間に合った。私は母からもらった指輪と、旦那からもらった指輪をこれからも大切にしていく。
もしも、春先に産まれる私達の3人目の赤ちゃんが女の子で、すくすくと育ち、好きな相手と結ばれたとして。
万が一、億が一、それがデキ婚で。その上彼女の財布の紐が謎に固くって、婚約指輪は要りませんとか旦那さんに言ってしまうような、頑固なレディに育ったとしたら。
その時は、私が。婚約指輪を贈ってあげるからね。……てか、デキ婚は、できればやめときなさいね!(特大ブーメラン)