多くの人は、両親の愛によってこの世に生を受ける。でも私はそうではなかった。 

私の両親はお見合いで結婚した。母は恋愛結婚を望んでいたが、祖母が許さなかった。
父親は社会的地位が高く、一見人当たりが良い。30歳近かった母は、そろそろ踏ん切りをつけなければと結婚を決めた。

苦しむために生まれたきたの? 私も姉も父親を憎み、母を責めた

ところが父親は、婚約中から「僕達のようなエリートは、本来あなたのような人間とは結婚しない」と言い放つ人間だった。
失敗した、と思った母親は結婚をやめたかったが、周囲への報告も式の準備もすでに済んでいた。
結婚式は、予定通り執り行われた。

父親は新婚旅行から母親を抱かなかった。子供がほしかった母から相談を受けた祖父が、父親を諭したこともあるらしい。
その結果私と姉は、「ほとんどそういうことがなかったから、いつできた子かはっきりわかる」と母親から言われることになった。

でもそんなことを言われるまでもなく、両親の間に愛がないことは幼い頃からわかっていた。
父親は家族を誰ひとり人間として扱わなかったので、私も姉も父親を憎んでいた。姉は「こんな家に産んでくれなければよかった」と、母を責めた。私も自分は苦しむために生まれてきたとしか思えなかった。

母親には、昔の恋人がいた。彼に再会して意気投合したけれど

母親には、結婚後も母のことを諦めなかった昔の恋人がいた。私を産んだ後、「あなた以外考えられない。やり直したい」と連絡があったらしい。すでに2人の子供をもうけていた母親はその申し出を断り、それ以来彼と連絡を取ることはなかった。

私がそのことを知ったのは、大学2年の終わりだった。彼が、仕事上の付き合いのあった伯父にどうしても母親に会わせてほしいと頼み込んだのがきっかけだった。

初めは渋っていた母だったが、最後には折れて彼と会った。
元々恋人だった二人は意気投合し、その後何度か会う中で、老後を一緒に過ごす約束をした。
彼はこまめに母親と連絡を取り、ある晩「少し疲れたから休む」とメッセージを送った後、急死した。25年ぶりの再会から、3か月後のことだった。

伯父からの連絡を受けて帰宅した私を待っていたのは、泣きじゃくる母の姿だった。
「お母さんには私がいるじゃない」だなんて、とても言える雰囲気ではなかった。なんとなく生まれただけの自分に、母が失ったものを埋めるほどの価値があるとは到底思えなかった。

「こんなことになるなら、キスくらいしてあげればよかった」と嘆く母を見て、この人は彼とキスをして、セックスをして、家庭を築けば、今よりずっと幸せだっただろうと思った。そうして二人の間にできた子供は、きっと両親に心から望まれて生まれてきただろう、とも。

生きる気力を失った母は、2か月で8キロ痩せた。伯父から「お母さんを頼む」と言われていたけれど、この出来事を即座に消化できるほど大人ではなかった私は、ノイローゼ状態の母としばらくうまく口をきけなかった。

生まれた理由もわからない人間に、どう生きたいかなんてわかる?

周りが進路を考え始める中、自分が生まれてきた意味はあったのか、などという答えの出ない悩みに取り憑かれ、焦って就活に向けた自己分析などしようものなら、機能不全家庭で苦しみ続けた今までの人生に心を殺されかけた。生まれた理由もわからない人間に、これからどう生きたいかなんて永遠にわからない気がした。

そんな私もどうにか社会人になり、少なくとも母が、愛する人との子供でなかったからといって娘を愛していなかったわけではないと理解できる程度には、大人になった。

子供は親を選べない。両親に望まれて生まれたことに何の疑いも持たずに生きられる人達を、うらやましく思うこともある。
でも私には、辛い日々に耐えながら手に入れてきた家族以外の大切な人達との関係があり、愛する人と新しい家庭を築いていくこともできる。今は、愛し合う両親のもとに生まれた命でなくても、互いに一緒にいたいと思える人達の隣で、泣いたり笑ったりしながら生きていきたいと思っている。