「ふつう」になんて生きられなかった。
大体にして、生まれ持った容姿がふつうではなかった。

「もしかしてハーフ?」と聞かれた。チリチリもふもふウェーブヘア

日本人は黒髪ストレートがあたり前、なんて、みんなも思ってる?
私は全然違った。色は黒いけど、私の髪はかなりの天然パーマ。それも、少し癖っ毛ではねて大変、というレベルではない。
物心ついた頃から、「もしかしてハーフ?」と聞かれるほどの、チリチリもふもふウェーブヘアなのだ。
もちろん、学校の服装検査では、特記欄に「地毛」と書かれ続けていた。

だから、綺麗な髪に憧れた。真っ黒でサラサラで長い髪。私とはまるで違う。お母さんに何度「私はあなたの髪が好きだよ」と言われても、納得なんてできるはずもなかった。
せめてみんなと同じ、ふつうのまっすぐな髪になりたかった。
どんなに櫛で梳かしても、シャンプーを変えても、私の髪は「変」なまま。
うねるから前髪は作れない。ずっとおでこを出したひっつめ髪。ヘアアレンジなんてできない。
からかわれるし、「なんでそんな髪なの?」って言われるし、軽めにいじめられるし。

そんなんだから、まあ、容姿コンプレックスで、案の定性格は病んだ。

私はみんなと違う。家族や先生や同級生たちが思い描く、「ふつうの女の子」にはなれない。
でも、「ふつう」って何? どうして「ふつう」じゃなきゃいけないの?
そんな疑問を抱えていたけど、子供の私では答えは出なかった。

周りからは大好評! でもみんなと同じスタートラインに立てただけ

そんな私であったが、転機が訪れる。縮毛矯正との出会いである。
なけなしの1万円札を握って美容院に行くと、私のチリチリヘアはツルツルのサラサラになった。

「可愛い!」「そっちの方が好きだな」「羨ましい」
周りからは大好評! 私も嬉しかった。やっと「ふつう」になれたのである。

それからは、染髪、お化粧、コンタクトレンズ、ピアス、ダイエット、男受けしそうな服。な~んて。ふつうに幸せになりたくて、色々頑張った。

ふつうじゃないはみ出し者が「ふつう」になるには、お金もかかるし、めちゃくちゃな努力が必要だった。貧乏学生にとって3ヶ月に1度の美容院代1万円はとても苦しい。コンタクトも高い。可愛いと言われるために、くだらない話にも付き合ってニコニコしてなきゃいけないし。ピアス穴は膿むし。

確かに、色々頑張っていた時の私は、「ふつう」に可愛かった。
でも、それだけじゃふつうに幸せにはなれなかった。可愛かろうが可愛くなかろうが失恋はするし、可愛いからってお金が増えるわけではない。
「ふつう」になれたのは、やっとみんなと同じスタートラインに立てただけだった。みんなはそこから、もっと頑張っている。

私にとって幸せなんだろうか?と、問いかけた。私は何もかもをやめた

私ももっと頑張らなきゃいけないのか?
こんな少しずつ精神が磨耗していくような努力を、死ぬまで延々と続けていくの? 
……どうしてみんなと同じがよかったんだろう?
みんなが決めたふつうって、私にとって幸せなんだろうか?

と、鏡の中の自分に問いかけた時、私の中の私は叫び声を上げた。

「他人にどう思われたってかまうもんか!! 私は私らしく生きたい!!!!」

それをはっきり自覚して、私は何もかもをやめた。
憧れのサラサラストレート。染髪、お化粧、コンタクトレンズ、ピアス、ダイエット、男受けしそうな服。
全部やめた。

前の方がよかった、とか、変だよ、とか。他人があれこれ言っても、私は「知らんなあ」と一蹴してニヤニヤしている。ありのままの私の魅力がわからないとは、可哀想な人間である。

しかし最近、人生の伴侶ができた。
ある夜に私は言った。
「私、日本人にしたら変わってる方だから。ふつうじゃなくてごめんね」
オリーブグリーンの瞳の恋人は、私のウェーブヘアを撫でて驚いた風に笑った。
「確かに、こんな日本人は初めて見た。でも、ふつうじゃつまらないよ。あなたの髪はとっても綺麗」

ああ~、やっぱり私は「ふつう」には生きられないんだなあ。
この先もずっと「ふつう」を超えたまま生きていく。
仕方ないのだ、これが私の人生なんだから。