外出が規制されて「地元」を意識し始めたのは私だけだろうか。

私の住む地域は隣に大都市を抱えていて、一時には県境を跨ぐ移動が禁止されてしまった。大学の講義もすべてオンラインで行われている。授業と課題の合間に友人と語らったり部活に勤しんだりする時間を失って初めて、他人と関わっていない自分がいかに孤独かと気が付いた。そんな中、虚無感に抗いながら出席したゼミで、パソコン画面越しの同期はこんなことを言い出した。

「最近会ってる地元の友達はそういうのはしてないかなって」

地元の友達!

その言葉は、その日の議題をも忘れさせるような衝撃を持っていた。公共交通機関を利用せずとも会える地元の友達! 想定外の関わりあいに、そりゃお前にはいないだろうな、と囁く声が聞こえた。リセットしたはずの人間関係に今になって苦しめられるとは思ってもいなかった。

いじめられ、十二歳のとき友達も一緒に「過去」にして捨てた

記念すべき小学校四年目、私はいじめられた。新任の担任教師には力がなく、クラスは荒れた。アトピーっ子で、無邪気で他者を慮れない、いわゆる空気の読めない私が、自意識の尖り始めた集団では扱いづらいのも現在では納得できる。と、同時に排水溝にへばりついていたゴミをほほにべったりつけられた屈辱、「汚れている」私がフルーツバスケットで誰々の防災頭巾に座ったからと土下座させられた屈辱は忘れられない。復讐に燃えた心は「奴らと同じ中学に進んでなるものか」と私を中学受験の勉強に向かわせた。塾に時間を割くようになって、気にかけてくれていた友達とは遊ばなくなった。

離れた繁華街の中高一貫校に進学することが決まり、同学年は私を噂した。進学先の名前は間違って伝聞され、「絶対手紙書くからね」と言ってくれる子さえいた。歩けば会える距離には住み続けるのに、と少し笑ってしまった。晴れて私は地獄のような小学校から抜け出し、新天地へと帆を張った。そして進んだ中学校も実は楽園ではなく、みずからの配慮のなさによって混迷を極めたのだった。

「地元の友達」がいないのも当然だ。十二歳の私は数少ない友達すら忌まわしき過去として切り捨てたのだから。

移動が制限されて、なにをするにも「地元」が追いかけてくる

ところが今になって「地元」とやらが私を追いかけているような錯覚がある。

ニュースには今まで以上に地方自治体の長が出ていて、否が応でも都道府県の枠を意識させられる。「移動の自由」の概念がない、廃藩置県前に戻されたみたいだ。

盛り下がる気分を上げようと、興味を持ち始めた日本語ラップを聞けば、強い地元への愛と誇りが歌われる。調べてみると私の最寄り駅には著名なヒップホップアーティストが住んでいると知った。そういえば小学校の頃仲良くしてくれたあの子はヒップホップダンスを習っていたな、私も誘われたことがあったっけ、と思い出す。

何より、中高のある繁華街や県を跨いだ大学に行かなくなって、自分自身が「地元」にいる時間が比較にならないほど伸びた。一日中家に引きこもっているのは体に悪いからと、親が私を散歩に連れ出す。五分も歩いていれば昔遊びに行った家が見つかる。

「地元の友達」にはなれなかったけど、いつの日か、また。

SNSを通して、友達が今何をしているのかなんとなく検討はついている。あの子は隣町の専門学校を出て美容師に、あの子は短大を出て経理に、あの子は隣県に行って――けれど私から連絡を取るのはためらってしまう。

空いた年月分離れた距離感を再認識してしまうのが怖い。彼女たちとの関係性を引きちぎって別の学校を選んだ私が、合わせる話もなく「別の世界」に生きていることを実感するのが怖い。

小学校の頃みたいに、帰り道にインターフォンを鳴らして、「遊ぼうよ」なんて言えたらいいのに。あるいはちゃんと時候の手紙を出せていたら、Twitterのフォローだけで満足せず、きちんと会話を交わせていたら、今の閉塞感も共有できていたのだろうか。

そう思うのは身勝手なことだとわかっている。就職もして忙しい相手のためにならないとわかっているから、私はこれを書いている。

友達たち、今も元気ですか。「地元の友達」になれなかった私は一応元気です。今はどこも大変だけど、また会えるといいな。