あなたは大切な友人に対して、「◯◯なのに」と思ったことはあるだろうか。例えば「こんなにかわいいのに」とか「こんなに賢いのに」とか「こんなにお仕事を頑張っているのに」とか。

そんな「◯◯なのに」の後に続いて思うのは、「◯◯なんて」。例えば「若くもないしお金持ちでもない人と付き合うなんて」とか「敬語を使えないなんて」とか「あえて奇抜な見た目にしてマイナス評価をされる可能性を許容するなんて」とか。

そしてそれらの言葉を締めくくるワードはこちら。「もったいない」である。

それこそここ、「かがみよかがみ」で色んなエッセイを読んでいると、自分個人が最上だと思い込んでいる価値観なんて、ちっぽけで一面的、ペラッペラなモンだよなぁと思う。私が「◯◯なんて」と友人に対して感じてしまう事柄も、その子の選んだ生き様であったり、そうせざるを得ない背景があるかもしれないのだ。それを他人が「もったいない」とジャッジする権利は、全くない。

例えば巷でホットなテーマとなっている「脱毛」にしたって、私のズボラな管理体制は友人に「脱毛しないなんて」「もったいない」と思わせている可能性がある。しかし、この無駄毛との適当なお付き合いは私が選んでいることだし、例え仲の良い友人であっても、あまり突っ込まれたくはない領域である。

何を選ぶかは友人の自由なのに、つい口にでてしまう「もったいない」

人が何を選びどう生きるかは自由。その子が誰と付き合おうとも、どんな振る舞いをしてどんな見た目になろうとも。私も大切な友人に対しては、尚更そう思うし、頭では分かっている。

しかし実際は、その友人と仲が良いほど、その子の事が好きであるほど、心に浮かんだ「もったいない」がつい口から溢れ出てしまったりする。

他人の幸せを願うことって、もちろんハートフルな側面もあるけれど、実はそれと同時にお節介に片足を突っ込んでいる状態なんだと思う。だって、その友人が何を望んで、何を望まずに暮らしているのか、真実は他人には分からないから。それなのに、つい「もったいない」と思ったり言ったりしてしまう……私はこんな薄っぺらい自分が、嫌いだ。

翻って考えてみると、自分に対して「もったいない」と思うことはあまりない。というか、ない。

なぜなら前提として「◯◯なのに」だなんておこがましいことを、自分には思わないからだ。「私はこんなにかわいいのに旦那がぽっちゃりだなんてもったいない」とか、全く思わない。逆に「旦那さんが優しすぎて私にはもったいない」とかも思わない。「こんな私がこんな生活を、こんな旦那と共に暮らしている」ということに対しては、「しっくりくる」と感じている。

伝えたほうが良い場面もあるけれど、個人間ではリスキーになるのかも

今ふと思ったのだが、そのように「しっくりくる」と感じているかもしれない他人に対し、「もったいない」と伝えても良い場面も、あるっちゃある。

例えば、政治。「あなたは政治家なのに、このタイミングでそんなこと言っちゃう、やっちゃうなんて、もったいないですよ」とか。これは、一国民の私が言っても差し支えないだろう。むしろ声を上げていくべきだ(というか、側近が言ってあげて…)。

政治だけでなく、企業で共に働くチームの仲間に「もったいない」と伝えることも、プラスに働く場合があると思う。例えば後輩に対して。「あなたはせっかく企業に貢献してくれてるんだから、お客様に対する敬語には気を付けないと、もったいないよ」とか。

しかし私はこの件に関してトラウマがあって、学生時代にアルバイト先で年下の女の子に上記のような指摘をした時、望まない軋轢を生んでしまった経験がある。平たく言うと、その後輩に嫌な顔をされた。

恐らく彼女の側からすれば、沢山シフトを入れて、仲間と楽しく働いて稼ぐ事が大切で、その上、堅苦しい言葉遣いに縛られずにお客様と話すという事も、理想とする働き方の一部だったのだと思う。「企業に対する貢献」と「お客様に敬語を使わないこと」は彼女の中では矛盾しておらず、むしろ「しっくりくる」働き方だったのだ。

「◯◯なのに」「◯◯なんて」「もったいない」。やはりこの3段活用は、個人間のやり取りで使うには結構リスキーなのかも。自分の選択を「しっくりくる」と思っている相手にとって、「もったいない」という言葉は、フォローではなく鋭めの指摘であり、攻撃だ。「もったいない」が無意識に口をつくようになると、私のように「お局」(おつぼね)と呼ばれる様な存在に1歩近づいてしまうのではないだろうか。私は当時、20代前半にして、お局になっていたんだと思う(怖い…)。

他者の価値観やこだわりを知り、「もったいない」を封印したい

では具体的に、当時の私はどうすれば良かったのだろう。きっと彼女には普段から、「いつもお店に貢献してくれてありがとう。シフトもたくさん入れてくれて助かってるよ。みんなも笑わせてくれるし、一緒に働くと楽しいよ」と伝えておくべきだった。

その上で、接客中に気になる言葉遣いが合った時、その点のみを指摘する。「お客様には敬語を使おうね」と。そこに「もったいない」という言葉は不要だ。

きっと今の私も、大切な友人に対してその様に接すればいいのだろう。「かわいい!」「一緒にいると楽しい!」と、常日頃から思いを伝える。後は友人の決断を、ただ応援するだけ。……とはいえ私の友人達には、やはり幸せに暮らして欲しいし、何かを選択したことによって不利益を被る様子は見たくない。勝手に幸せを願う事も、辞められない……。

だからこそ私は、自分の知らない他者の価値観やこだわりを知り、今後も「もったいない」を封印する努力を続けたいと思う。難しいけれど。「かがみよかがみ」で勉強します……!

そんな私は現在29歳。20代前半で既にお局になってしまった経験を踏まえると、「もったいない」封印のため、今後はより強い自制心が必要になるかもしれない。自分を放置しておけば自然と、嫌なお局になってしまいそうで、かなり怖い……。

私のように友人や後輩に対し「もったいない」と感じたことのある、同世代のみなさん。もしかしたらあなたも既にお節介、もしくはお局と呼ばれる存在に片足を突っ込んでいる状態なのかも……?それはとってももったいないから、お互い気を付けましょうね……って!!これこそ余計なお節介……!?(白目)