「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫」と答える。
この決まり切ったような会話のやりとり。
果たして「大丈夫?」と聞かれ「大丈夫ではない」と答えることの出来る人はどのくらいいるのだろうか?
少なくとも以前の私は、必ず全ての質問において「大丈夫」と答える人間であった。
外でおにごっこをすることが大好きだった私は、よく転んで足から血を滲ませていた。
うっすら滲んでいた血が、ゆっくりと足をつたって流れていく。
「痛い」と泣きそうになっている私に、友達は「大丈夫?」と聞いてくれた。私はうつむいた表情を一瞬で笑顔に変えて「大丈夫!」と答えるのであった。
この私の「大丈夫!」は、傷や痛みが「大丈夫」という意味ではなかった。特別深い意味もなく、単なるロボットのようなおうむ返しをしていただけだったのだ。
しかし、このやり取りは私が成長するにつれて、意味合いが変わってきた気がする。
小さい頃は単なるおうむ返しをしていた私だが、成長するにつれて、自分の中の変なプライドや遠慮というものが出てきたのだ。
ごめんと断る、たったそれだけのことができなかった私
大学時代、友達と遊ぶ約束をしていた私は、当日に40度近い高熱が出た。本当はとても体調が悪く、今すぐにでもベッドの中でまるまって、横になっていたかった。
しかし私は「私は元気!体調不良なんて言いたくない」という変なプライドの元、何事もなかったかのように友達と会い、そして遊んだ。今はスマホもある時代だから、LINEで「ごめん、今日体調が悪くなったから会えない」と言えばいいだけのことなのだと思う。しかし、私はたったこれだけのことが出来なかったのだ。
友達に会い、「疲れてるね。大丈夫?」と聞かれた私は「全然!大丈夫」と引きつったような笑顔で答えるのであった。
もちろん、家に帰って来ると体調は一瞬で悪化し、ベッドから起き上がれなくなってしまっていた。
その後も、私のプライドと遠慮によるおうむ返しは続いた。
学校を欠席した時の授業の板書が分からなかった私は、誰かのノートを写したかった。仲の良かった友達が「ノート貸さなくて大丈夫?」と言ってくれたが、私は「借りたい…でも申し訳ない」と遠慮をして「大丈夫、ありがとう」と返事をし、結局そのまま写すことをしなかった。しかし、結局テストでは休んだ時の内容が出てしまい、自分自身が困る羽目になったのである。
遠慮は思いやりではない、と気付いた出来事
もちろん、相手に迷惑をかけたくないという気持ちが大きいのだが、素直に本当の「大丈夫ではない」という自分の気持ちを伝えていれば結果が変わっていたかもしれない、ということが山程あるのも自覚していた。しかし「自分は申し訳なさから断った、これでよかったんだ」と思い込むようにしていた。
ところが、ある日の出来事が「遠慮しているから相手を思いやれている」と思っていた私の考えを、大きく変えることになった。
その日、私は友達と一緒にいる時に終電の時間が気になり、ついチラチラと時計を見てしまった。友達は「大丈夫?」と聞いてきたが、私はいつもの「プライド・遠慮」から「大丈夫」と答えた。そして、結局終電を逃してしまい、こっそりとタクシーで帰ることになったのだ。
見られたくない姿は見られているものである。翌日、友達に「昨日、終電の時間を遠慮しないで言ってくれればよかったのに。遠慮する関係ではないよ?」と言われたのだ。
それは、「私が自分だけのプライドを守ったり、相手のことを思いやったりしているつもりで言っていた『大丈夫』は、必ずしも相手のことを思いやれていなかったんだ」とハッと気付いた瞬間なのであった。
「本当の信頼関係を築くためには、弱さを見せたくないだけのプライドはいらない。遠慮だけが思いやりにはならない」
私の中で大きな気付きであった。
私は、人と信頼関係を築くのがとても苦手である。
これからは「何が本当の思いやりなのか」をもっと真剣に考えていきたいと思う。