わたしは、「わたしが考えるふつう」の人生を送っています。23歳でふつうに就職し、27歳でふつうに結婚し、28歳でふつうに子供を産みました。
  れはまさに「わたしが考えるふつう」の人生です。そしてわたしは、この「わたしが考えるふつう」の人生を自慢に思っています。しかし、それと同時に「わたしが考えるふつう」以外の人生を送っている人を見下してしまいます。そして、わたしはそんな自分がほんとうに嫌です。

挫折し描いた人生を諦めたわたしは、過去の自分と重なる人を見下した

 なぜ、わたしが「わたしが考えるふつう」以外の人を見下してしまうのか。それは、かつてのわたしも「わたしが考えるふつう」以外の人生を送りたいと思っていたからです。
 しかし、ある時期にわたしは「わたしが考えるふつう」以外の人生を目指すことに挫折し、そのような人生を諦めました。わたしは、諦めた自分を納得させるために、現在の「わたしが考えるふつう」の人生を誇り、かつての自分の姿である「わたしが考えるふつう」以外の人生を送る人を見下しているのです。
 「わたしが考えるふつう」以外の人生を送りたかった頃のわたしは、演劇をしていました。そして、演劇を仕事にしたくて夢を叶えるまでは就職も結婚もしない!子供もいらない!と豪語していました。18歳から22歳頃のことです。
 親にそのことを伝えると、「就職して、結婚して、子供を産むというふつうが一番幸せなことなんだよ」と言われました。わたしは両親の言う「ふつう」には絶対になりたくないと思いました。

彼らはかつての自分の姿。見下すほど未練を感じ、嫌な気持ちになる

 しかし、演劇の道も思うように上手くいかず、嫌気がさし、23歳のときに就職をしました。そしてそのまま現在の夫と出会い結婚、出産をしました。「ふつうの人生なんかクソ食らえ!」と思っていたわたしは、20代の前半で早くも挫折し、結局、親の言う通りの「ふつう」の道に辿り着いてしまったのです。

 そんな「ふつう」の現在のわたしは、夢を追い続ける人や、昔の演劇仲間の名前をインターネットなどで見つけると、「まだこんなことやってるんだ」とか、「こんな歳なのに結婚してないのか」などと思ってしまいます。
 そう、わたしは、かつての自分の姿でもある彼らを、見下しているのです。たしかに、「わたしが考えるふつう」の人生を送っている今のわたしは幸せです。

 しかし、「わたしが考えるふつう」以外の人を見下しているということは、やはりわたしは「わたしが考えるふつう」以外の人生に未練があるのです。

 そして、わたしは「わたしが考えるふつう」以外の人を見下している自分に気がつくたびに、18歳から22歳の「わたしが考えるふつう」以外の人生を夢見て一生懸命だった自分を否定しているようで、とても嫌な気持ちになるのです。