いい人であることは、誰にとって良いことなのか

いい人であることは居心地がいい。恨まれるような衝突は回避できるし、時に人間性を評価されることもある。
でも反面、自分を擦りきらして生きているのも確かだ。

それでも続けているのは、いい人であることの正当性を社会が下ろさないからだと私は思う。いい人であることは正しいという絶対的な普通だ。

ではいい人であることは、誰にとって良いことなのか考えてみる。

それは案外、社会や所属するコミュニティ、もしくは対している相手ではないだろうか。逆らわない人、同意する人、問題を起こさない人。

でる釘は打たれるなんて言葉があるくらいだから、日本は特に目立ったり、波風起こす人に対してマイナスなイメージがある。

今は大分社会も変わって、snsとかファッションで自己表現する場ができたから、そんな風潮も若い世代から変わりつつあるけれど、それでも集団のコミュニティで生きやすさを追及すれば、従順であることやイエスマンであることに辿り着くのが事実だ。

いい人に倣ったが、それは同時に私を生きにくくさせていた

実際私もこんな風に論じているが、そのうちの一人だった。

他人の評価ばかりを気にして、体裁のために拒否するということはあまりしなかった気がするし、はみ出たようなこともしなかった。そしてその間、自分の人間性に嫌気がさすこともしばしばだった。生きやすさを求めて、世で言ういい人に倣ったが、それは皮肉にも同時に私を生きにくくさせていた。

今がいい人であるならば、私はいい人である自分が嫌いだと思った。そして私は誰かにとってのいい人であることを止めた。こんなに苦しんでまで評価されたいことも、認められたいこともないと思ったからだ。

そして同時に、自分にとってのいい人であろうと決めた。それからは、衝突したり、誰かから嫌われたり、エネルギーを使ったりすることも度々あった。

ここに白状すれば、私は新卒1年目で会社を辞めた。営業として配属された私は成績も悪くなく順調な滑り出しだったと思う。

辞めた理由はシンプルで、先輩の嫌がらせ、上司の見て見ぬふり、なのに成績については常にもっとあげろと押してくるストレスフルな日々。同期は鬱で辞めてしまったし、本当に劣悪だった。ミーティングをしているある日、なぜ成績をもっとあげられないのかと言われた。そりゃあどうにか邪魔をしようと嘘を教えられたり、外に出れないように交通手段を奪われるからですなんて言えない。と一瞬口をつぐんだあと、ん?言えない?と思った。私はよくも悪くも頑固なので、自分は正しいと思って生きている。私は間違っていないのになぜ弱気にならなければいけないのか、こんな思いをしなければならないのか。沸々疑問がわいてきた。

そして私は、強がりながらも傷ついてきた自分の名誉だけのために、全てを吐き出した。

相手に変わってもらいたいとかそんな期待は毛頭ない。

じゃあ言っても無駄じゃないか。むしろ面倒くさい人、こういう系の人ねって失笑されるだけじゃないか。
そんな風に思う人もいるかもしれない。

だけど私は違うと思う。
戦ったり反抗すること、NOを言うことは、相手のためじゃない。社会を変えるためでもない。

ただ一人、自分のためにすることなのだ。自尊心をかけて、声をあげることは自分を生かすことだと私は思う。

全て言いきったあと、私は普段通り仕事をこなして、次の日に辞めますと会社に電話した。

そのあとはトントンだ。
今だって、社内の人になにか言われてるかもしれないし、やばい子だって噂が広がってるかもしれない。

でも、私はその人たちを正しい人と対極の人間だと思っているから、どんな風に評価されたってそれを真に受けないし一ミリだって認めない。

そしてその人たちもまた、私をいい人とは認めないだろう。

正当性も合理性も追わずに、従順にやり過ごす人を、彼らはきっといい人と呼ぶのだから。

それでも、私は自分の人生に満足している。この生き方で、揺るがない素晴らしい友達ができ、自分のやり方で自分と自分の大切な人のことを守ったり愛することもできるようになったからだ。

今回このエッセイを書こうと思ったのは、いい人を卒業した私から過去の私と同じような思いをしている人へ届けたかったからだ。

私は彼らをあえていい人とは呼ばない

あなたにはあなたにとってのいい人であってほしいと。
あなたが何より大事にしなければいけないのは何者にも変えがたいあなただからだ。私は自分を守るためなら相手を傷つけてもいいと思っている。

きっと賛否両論がある意見だとは承知だけれど、私はこの意見をおろさない。だっていつだって、誰かのいい人であろうとする人は自分ばかりを犠牲にする人だからだ。

繊細で誰よりも優しい人たちなのだ。そういう人ほど自分を追い込み、誰を傷つけることもなく、自らがいなくなることで精算しようとするひとがいる。

私は彼らをあえていい人とは呼ばない。

誰かがあなたを傷つけてくるなら、自尊心を奪う言葉を吐いてくるなら、

嫌われたっていい。
言い返したっていい。
逃げたっていい。
誰かに訴えたっていい。
学校を休んでもいい。
今日から会社を辞めたっていい。

戦い方は沢山ある。
どうか自分を守るために回りと戦い、迷惑をかける勇気を持って欲しい。

そして今日、共に宣誓して欲しいのだ。誰かにとってのいい人辞めます、と。