気がついたら、母が嫌いだった。
明確に嫌いになった瞬間は覚えていない。きっと長年の積み重ねの結果だと思う。とはいっても「心の底から嫌いで二度と会いたくない」というわけではない。でも、二度と一緒に住むのはごめんだ。
のしかかってきたのは輝かしい結果と重すぎる期待、妬み嫉みだけ
こんなことを自分で言うのもどうかと思うが、昔からいろいろできた人間だった。勉強も運動も大して努力なんてしなくても結果がついてきた。その結果、私の背中にのしかかってきたのは数々の輝かしい結果と重すぎる期待、妬み嫉みだけであった。特に母親からはひどかった。小学生の時は「1年に最低1枚は賞状を持って帰ってくること」。中学生の時は「部活でレギュラーになること」「期間限定の陸上部に参加して選手になること」。高校生の時は「いい大学に合格すること」。
小学生の時はまだ楽だった。中学生の部活は母に決められソフトテニス部に入ったのだが、経験者だらけ。同じ学年の部員が20人もいるのに団体メンバーは8人。とはいっても2人は補欠だから実際の枠は6つ。ギスギスとした女の園で足掻くしかなかった。そして、陸上部は各学年の運動が得意な生徒に体育科の教員が直接声をかけ、部活の前のわずかな時間で練習をするいわゆる「特設」の部活だった。運動部の掛け持ちはハードなもので、3年間で数えきれないほど怪我をしたけど、私にとってはまだ“楽”なものであった。
大学受験で期待に応えられず、罵詈雑言。慰めなんて一言もなかった
問題は高校だ。帰宅部で私立の進学コース。名のある大学に入ってくれと母に言われ続けてきたが、初めて母の期待に応えることができなかった。
その結果は酷いものであった。毎日顔を合わせる度に飛んでくる罵詈雑言。周囲の人にも私がいる目の前で憎たらしそうに愚痴を述べた。失敗した私への慰めなんて一言もなかった。
どうして?
受験鬱は聞いたことがあるが、私が鬱気味になったのはすべてが終わった後だった。うつ病を経験している友人に本気で心配されてやっと自覚した。「私は今、正常ではない」と。今まではなんでもある程度できたのに一瞬で何もできなくなってしまった。自分の存在価値が途端に分からなくなった。生きている意味が見いだせない。
これを書いている今もだ。これを書いたところで意味があるのかなんてわからないけど、何か自分の価値を見つけたくて必死に藻掻いている。
たまには力を抜いて、完璧を追い求めすぎない方が少し楽になる
きっと、昔の私レベルの人なんてそのあたりにごろごろいると思う。その人がどんな人かはわからないけど、過度な期待は背負わせないでほしい。特に身内は。肥大化した期待は一瞬で人を押しつぶす。自分自身に期待しすぎてもこうなりかねない。たまには力を抜いて、完璧を追い求めすぎない方がきっと少し楽になる。そんな気がしている。
この窮屈な世界を上手く渡り歩いていくにはどこかで「少しなら手を抜いても大丈夫」ということと「何とかなる」という精神をもって生きていく方がいい。でも、できることがあるのに自信が持てずにいる人がいたら自信を持てるようになってほしい。それはあなたが今まで築いてきたかけがえのない“財産”だから。