10月の半ば、休みを取って帰省した。

長距離移動がなんやかんやと言われた時期を少し乗り越えてきたところでもあったし、実家にいる高齢の犬がもうあまり長くはないだろうと聞かされていたので、会っておきたかったのだ。

私に宛てられた母の「可愛い」という言葉に、なぜか涙が出た

テレビを家族で観ているときに、紙おむつのCMが流れると「お姉ちゃんが赤ちゃんのときもうんち漏れが大変だったなぁ」と始まった。母は、私たち姉弟が幼かったころの話を始めることがよくある。私も歳の離れた弟がそうなっているのを見たことがあるのだが、うんちがゆるかったり、液状だと背中の方にうんちが流れたりして大変なのだ。もう一人の歳の近いほうの弟は、“うんち”という響きにケラケラ笑った。成人男性とは思えない。

そして、母の言葉は「小さいころのお姉ちゃんは可愛かったよー、いまも可愛いけど」と続いた。たぶん、母はなんとなくに言ったのだが、私はなぜか、涙が出た。

しょっちゅう泣く。理由の内訳は、アイドルを見たり小説を読んだり、エンタメによるものが圧倒的に多い。いつのまにか自分の事で泣くことが滅多に無くなった。今回の涙の理由は、ほんとうに自分でもわからなかった。心が動くより、先に出た。だって、ほんとうに驚いた。私は26歳になるが、それまで母が私に「可愛い」と言った記憶はなかったからだ。

そんなふうに書くと、ろくでもない母のような印象を与えてしまうが、まったくそうではなかった。私は、愛を受けて育った。ただ、母の「可愛い」は、二人の弟に与えられるものだと昔から思っていた。

弟たちは、誰が見てもほんとうに可愛らしかった。上の弟はくりくりの柔らかい天然パーマと大きな目、下の弟もおなじく天然パーマが目立ったし、真っ白な肌にあざやかなピンク色のくちびるが映えた。身内だけじゃなく、道行く人たちも彼らを「可愛い」と言ったし、かまいたがった。家の外ではそんなかんじで、弟たちがもてはやされてしまうので「自分はここに居ないんじゃないか?」というような感覚になる事もあったが、私はとても大切にされた。

褒められることを期待して、母に「私の良いところって何?」と訊いた

両親は、私のしたいことや気持ちを最大限に尊重してくれていたし、長子の私に信頼を寄せていた。一緒に住んでいた母方の祖母も全力で孫たちに向き合い、平等に接した。そして、二人の弟も私を慕ったし、やっぱり本当に可愛かった。家の中では、3人の姉弟が等しく愛されていて、みんなが味方だった。幼いときはそれでよかった。

小学校の中学年になると、クラスがとても社会めいてきた。それまでは男女関係なく遊んでいた子供たちが、男女を意識し始めて外見や仕草にシビアになり、足の速さや面白さなどで地位がはっきりと決まった。私は、皆の前で面白いことなんてできなかったし、太っていて、運動はまるっきし苦手だった。

唯一、自分なりに得意だと思っていたのは絵を描くことだった。暇さえあれば描いていたし、友達が褒めてくれることもよくあった。

しかし、ある日女子の間で流行っていたお絵描き対決で、顔も気立てもいいミサキちゃんに大敗を喫した。その場では何でもない感じで笑っていたが、いよいよ何も無いという事実を突きつけられた感じがして、かなり絶望していた。

家に帰るとすぐ、母に「私の良いところって何?」と訊いてみた。正直、めっちゃ褒められることを期待していたが、母は黙り込んでしまった。そして、しぼりだすように「やさしい」と言った。もうその「やさしい」はぜんぜん響かなかった。母が黙り込んだときの、あの気まずい空気が答えだった。その日から、母に褒められることを期待するのはやめた。

大人になって褒められて気づいた。私は、ずっと寂しかったのだ…

だから、この歳でいきなりストレートな言葉をもらったことには喜びよりも先に驚きがあった。そして気づいたことがある。私はちょっとだけ、ずっと寂しかったのだ。

自分を守るためだったんだろうけど、母への要求を最初から無いものにしてしまっていた。だけどあの時の痛みは残っているし、心のどこかでは欲しかった言葉を待ちつづけていた。

無視してきた自分の声に気づけて、母の言葉があって、やっと大丈夫だと思えた。

すっかり痩せてしまった犬の首元に顔をうずめて、思いっきり嗅いだ。随分時間が経ってしまったが、私たちはまだ生きている。