勉強も運動もできるしっかり者。私はそういう子供だった。最初はほめられる自分が本当に誇らしくて、誰かの注目を浴びるのが大好きだった。褒められるために頑張る、これが私の生きている意味だと思っていたから。
でもいつからだろうか、それが重荷になってしまったのは。誰かの都合のいい人間になってしまったのは。子供は思ったより小さなコミュニティで生きていて、そこでついてしまった印象を変えていくのはなかなか難しい。というより自分自身こうやって生きる以外の方法を知らないのかもしれない。

成績学年一桁台、部活レギュラー、生徒会。でも、変わりたかった

本当の私ってなんだろう。中学3年生の頃、私はふとそんなことを考えた。当時の成績は学年で一桁台、部活は引退までレギュラーだったし、中1から生徒会メンバーとして活動をしていた。

高校へは進学校への推薦入学が決まっていてまさに順風満帆な人生。きっと周りから見たら申し分ない人生だろう。けれど、私はどこか心の中で何かが違うなと思い始めていた。断れない自分、無理に人のために頑張っている自分がそこにはいたから。どこかで本当の自分を見つけたい、自由に生きたい。そう思うようになった。
でも、私はその方法を知らなかった。本当の自分を知らないから変わりたくても変われないのは仕方のないことではあるのだが。そして私はある強硬手段に出ることにした。

「しっかり者」を捨る作戦 受け入れてくれたけど高2でトラブル 

それは、今までの自分を捨てていくことだった。そうすれば何がしたいのか、どうしたいのか、見えて来ると思った。だから、高校に入学した日、私はしっかり者の自分を捨てた。同じ中学の子が少ない高校だったのでこの作戦は案外うまくいった。無気力で何を考えているかわからない、私は周りにそう写っていたらしい。

自分が気がついたことや挑戦したいことだけ挑戦してみればいい。そう思えばすごく気が楽になって生きやすかった。部活でも頑張りすぎない、楽しむことをモットーに放送部に入部した。新しい私を受け入れてくれる仲間がいるすごくいい環境だった。運動部みたいな競争が比較的少ないのも私は気に入っていた。
でも、そんなに世の中うまくいくはずもなく、事件は高2の春に起こる。顧問と先輩との間でトラブルに巻き込まれ、強制的に退部を命じられたのだ。
この瞬間私は世の中の大人を信用することができなくなった。学生時代の教師というのは親以外の一番身近な大人でそこの信用がなくなると全てに絶望してしまう者なのだろう。そんな人たちから物を学ぶのも嫌になり、なんのために勉強するかもわからなくなり私は勉強も捨てた。

無理して生きていた 今も本当の私を分からないけど芝居に挑む

ついに、私はゼロになった。今まで持っていた物を全て捨てた時、私には何も残らなかった。頑張ることで得意に見せかけていただけで、私は何も持っていなかった。秀でた趣味も特技もない、何も持っていない自分を無理に着飾って背伸びしてただ生きているだけのなんでもない存在。でも、それが今の本当の私だった。
でも、何も残らないことで見つかったこともある。それは私の夢だ。何もない私が何か残したい、生きたという証を、自分の存在を表現したい。そして私は東京に飛び込んで芝居に挑戦することを決意した。初めて最初から私で考えて答えを出したことだった。
今の私が本当の自分かはまだわからない。でも、今は表現活動をしている自分が、生きているということがすごく楽しくてたまらない。全部捨てた私は、人生で一番大切な生きる楽しさを手に入れた。私は自分の選択に後悔していない。これからも自分らしく、自分のために生きていく。