このエッセイを読んでもらうにあたり、皆様の注目を集められるような、キャッチーでセンシティブな話題提供をしたい。したいのだが、何もない。なぜなら私がめちゃくちゃ普通の人間だからだ。強いて言えば、先日なんの面白みもない普通の彼氏と別れた程度である。1年以上付き合い、価値観の違いから、取り立ててショッキングな出来事もなく、凪いだ海のような穏やかさで別れた。

しかしその後、その海は大しけとなった。理由はわからなかったが、彼との別離が元凶でないことだけが確かだ。もう死にたいと枕を濡らし、どこにも出たくないと膝を抱え、何も信じられないと口を噤んだ。しかし感情とは、一度吐き出すとクリアになるようだ。まるで水中スコープで覗いたみたい。波はあったものの、1ヶ月間荒れていれば流石に落ち着いた。私はそこで、ようやく自分の気持ちと向き合うことができたのだった。

「結婚しないと、みっともない」そう思っていた

Q.やっぱり彼氏と別れたくなかったの?
A.それは絶対に違う。エキサイティングな展開こそなかったが、私は彼が嫌いで別れた。もう顔も見たくない。記念日にもらったダイヤは道に捨てた(マジ)。

Q.希望通りの展開じゃなかったの?
A.そりゃ、嫌いにならなければ一緒にいたかった。結婚前提の付き合いだったし。

Q.結婚したくて付き合ったの?
A.そうだ。もちろん誰でも良かったわけではないが、結婚したいから相手を探しはじめた。
そこがブレなかったから、別れを決意した。

Q.なぜ、結婚したいの?

その質問が頭に浮かんだ時、私はすぐ答えることができなかった。なぜ結婚したいのか。
 ──子どもが欲しいから?
 違う。
 ──愛が欲しいから?
 違う。
 ──みっともないから?
 これが、一番しっくりくる気がした。

結婚しないと、みっともない。口に出してみた時、驚くほどすんなりと、それ私の心に侵入した。まるで、ふわふわした気持ちが言葉という形を得て、理解するより早く、どすんと鳩尾に落ちてきたみたいだ。晩婚化している社会からしたら、私はまだまだ適齢期。みっともないと悲観するには早すぎるのに、なぜこんなことを理解より早く感じてしまったのだろう。

種族繁栄を安定した形で行う制度である結婚は、普通のことになる

これは、もっと掘り下げる必要があるな。私は再び深海へと潜る。「みっともない」を掘り下げるのは勇気がいるので(だって傷つくのは分かりきっている)、私は、結婚について考察を巡らせることにした。……そういえば、周りから「いつ結婚するの?」と言われるようになった。友達が「そろそろ結婚したい」と言うようになった。彼氏が「結婚を前提に」と言っていた。どうやら「結婚」は、私の世界にどうにかしてでも入り込みたいらしい。その言葉を誰一人として悪意で言っておらず、ごく当たり前のこととして、私はぶつけられている。つまり、結婚することは「普通のこと」らしい。

なるほど、その解釈は大間違いではない気がした。今、私が生きているという「普通」は、私の両親による結婚から生まれた。普通とは、大多数の人間がやってきたことをなぞるということだ。生きとし生ける人間が行なってきたことをなぞらなければ、普通ではない。だから、子をなして種族繁栄に貢献することは、普通。その種族繁栄を最も安定した形で行う制度である結婚も、普通のことになってくるわけだ。はーん。

もちろん、「今はそんな時代じゃねぇんだよ!」と言うことはできる。できるし、その通りだと思う。ただそう言ってしまうと上記の何百文字は無駄になってしまうし、なんだか横暴すぎる気がするんだよなぁ。ここで私はテーマに立ち返りたい。普通を超えることは、普通を知ることだとも思うのだ。ハードルは、知らなければ超えられない。

普通を超えるには、リスクを覚悟し、乗り越える工夫が必要

結果的に結婚を主題としたが、普通でいる=大多数でいるということは、何かしらの制度が整っていることでもあると思う。たくさんの人が通る道は、踏み固められるし、舗装もされる。普通を超えるということは、ある程度リスクが伴うことを覚悟し、乗り越える工夫が必要なわけだ。例えば気持ちとか、周りの目とか。

普通じゃないことが普通になる世の中になればいいのに。色んな視点で見ると、そういうことは、よくある。だからこそ私たちは、そんな悠長なことを言ってはいられないのだ。……さあ、超えるハードルはたくさんあるぞ。なんだか活力が湧いてきた。こんな気持ちも、普通を超える覚悟を持ってこそかも。ここまできたら、いっそみんな普通に縛られてしまえばいいのだ。そうすることで、私は逆に広い海を勝手気ままに泳ぐことができる。そうと決まれば、まず手始め。私は、自分の考察を元手に5万円が欲しい。