母にはよく言われた。
「王道が一番。ふつうが一番」

わたしはよく分からなかった。でも、正しいんだと、そう言い聞かせた。
何と競っているのか、何の土俵で一番なのか。
理由は分からなかったけど、小言なんてものではなく、母は祈るように、私へ何度も言った。しあわせを願っていた。その祈りを受け止めなければ、と必死だった。愛されたかった。

「ふつう」でありたくないたった一人のわたしを、守ってあげたんだ

そんな心のしこりを、見て見ぬ振りをしたまま生きていた。

私のことを、「ふつう」のOLだと多くの人は言うだろう。

でも、その「ふつう」に違和感を感じずにはいられず、またその源流がどこから来るのかもわからず、ただ「ふつう」という言葉に怒りを感じる。ふざけるな!そう叫びたくなる。そんな感情を抱くようになったのは最近だ。

「もっと自分の人生を生きたほうがいいよ。生きてもいいんだよ」

その言葉を、同じ住人からかけられた瞬間をよく覚えている。
当時住んでいたシェアハウスから歩いて5分くらいの公園のベンチだった。わたしは血を流すように全身で涙を流し、自分で自分の頬を引っ叩くような不可避な衝動が駆け抜けたのだと今ならわかる。

「ふつう」という呪縛に囚われていたわたしは、
そうでありたくないたった一人のわたしを、守ってあげたんだ。

小中高は私立校、指定校推薦で入学した某大学を卒業し、死に物狂いで就活をして憧れの広告会社に入社。

いわゆるお嬢様学校で育った私は、それなりに、いや大変恵まれた環境で、友人に囲まれ、文句ない青春時代を過ごし、沢山の素敵な思い出をつくった。大学も指定校推薦で入学できた。

2年前のこと。広告会社で働き出して3年目。私は文章を書くことだけが、誰にも邪魔されない自分だけの木陰だった。これが、いつか誰かの目に触れて、またそれが役に立ったら素敵なことだなと、ライターなのかエッセイストなのか、いわゆる言葉を自分が生み出すことを仕事にしてみたいと、沸々感じるようになった。

シェアハウスの彼ら・彼女たちは輝いていて、自然で、美しかった

そんな時、「シェアハウスオープン!PRアンバサダー募集!」と書かれた記事投稿をFacebookでたまたま見つけた。

よく分からないが、ビビッと来た。動かなければ後悔すると感じた。当時、上司とウマが合わず、心身ともに苦しかった時でもあり、もはやそれはある側面で見れば、その状況から全力で逃げたかったのかもしれない。毎日毎日、海の中にいる感覚だった。たった独り、息はできない、でも生きなければいけない。予定調和という概念を覚え、うまく笑えるようになってしまった自分が、心底嫌だった。おもしろいなんて一ミリたりとも思っていないのに、「あはは」と声を出して笑っている自分に、嫌気がさしていた。気持ち悪かった。私は、私の居場所を、切実に探していた。

一心不乱に入居動機を書き上げ、深夜1時くらいに脇目も振らずに送った。すると数日後、合格した、という知らせがメッセンジャーで来た。会社のトイレで小躍りした。

この逃げた行為が、わたしと「ふつう」が出会い、闘うキッカケとなった。

シェアハウスにいた人たちは、私がいる世界とは到底違うところにいて、でも圧倒的に自分を生きていた。ミュージシャンでありカフェの店長、マグロの卸問屋でもあり理学療法士、介護士であり沙漠移動家、クリエイターでありコミュニケーター、大企業の企画職でありインスタグラマー。

彼ら・彼女たちは、輝いていた。イルミネーションみたいな輝きではなく、朝日に海が照らされたときに見えるゆらぎを持った輝きだった。あまりにも自然で、あまりにも美しかった。

なんで所属だけで、「ふつう」の檻に入れられなければならないのか

そのシェアハウスで交わした言葉で猛烈に覚えている言葉がある。
それは本当に何気ない会話の中だった。

大企業で働く会社員、という属性を指したかった人が
「みゆさんは、ふつうの人だよね」と何気なく発言した。

その言葉を聞いて、悔しかった。とてつもなく嫌だった。
その場は笑って過ごした。否定できなかった自分も悔しかった。

なんで所属だけで、
そんな「ふつう」の檻に入れられなければならないのか。

でも、わたしはなぜそんな「ふつう」と呼ばれるのが嫌なのか、分からなくもあった。「ふつう」でいいじゃない、不幸になるわけでもないし。

でもよくよく考えると、「ふつう」という言葉が生み出す妙な違和感に嫌悪があったのかもしれない。その概念にまとわりつく、みんながいいと思っていることが「いい」ことである、という多数派に宿る正義。少数派の持つ個性や味がおざなりにされる、むしろ嘲笑される現象。それらに腹が立っていた自分がいた。たった一人の人生の尊さを、重みを、豊かさを、罵るような言葉だと感じてしまう。でもここまで嫌悪感を持つようになったのは、一方で自分にはその「ふつう」になれないという、劣等感も持っていたのかもしれない。

というのも、私は「ふつうじゃない」部分を持っている。
アトピー性皮膚炎を患っていたり、発達障害と日本ではいわれるADHDのグレーゾーンだったりと、幼少期から今も「ふつうじゃない」ことに苦しみを覚えてきていた。

肌が汚いと言われるのが怖くて、怖くて仕方がなかった。

どうやってもケアレスミスがなくならなかった。
「アホ!」と何度罵声を浴びても間違えてしまった。
自分は何でこんな簡単なことができないのか、自分が大嫌いだった。

どうやっても「ふつう」にはなれなかった。必死に「ふつう」を目指した。そして母もその「ふつう」であることを祈ったのだと思った。わたしは「ふつう」には、なじめなかった。そんな自分を恨んでいたんだろう。お母さんごめんなさい。

改めて考えてみる。「ふつう」ってなんなのか。

大企業のOLという意味においては、環境によっては「ふつう」なのかもしれない、でも私という個体で見たときには人と違う部分があり「ふつうじゃない」人間でもある。

そう考えると、「ふつう」は脆く、愚かで、滑稽な言葉だと気付く。
自分が多数派だと安心するため、自分が少数派だと誇示するため、そんな欲求のもとに生まれた、人間の弱さからうまれた、概念であること。

だから私は、越えていく。越えていってやる。
「ふつう」なんてくそくらえ。

今ならそう言える、自分の人生をささやかに祝いたい。