Comfort Zoneという言葉をご存じだろうか。カタカナで記すと「コンフォート・ゾーン」であり、日本語に訳すと「快適な空間」である。決して住環境的な意味合いではなく、自分が居心地のいいと思っている土地や職場、環境などのことを指す。もう少し悪く言うとするならば、「慣れきったぬるま湯」的な意味も持つだろうか。一般的にはこのComfort Zoneに居座り続けると、人間としての成長は出来ないと言われている。そしてその人にとってのComfort Zoneは、その人にとっての「ふつう」を指していると、私は考えている。

Comfort zoneを超えアメリカ留学。日本にはない経験で成長を感じた

少し私のエピソードに耳を傾けてもらいたい。

私は高校生まで地元の田舎の学校に通っていた。話す方言や、食べ物の味付けまでその地域ではそこまで差異がなく、それが私の「ふつう」であった。大学生になって、都会出身の子や海外で生活をしていた子など、私にとって「ふつう」ではない子たちと知り合い始めた。最初は戸惑ったものの、色々な価値観や考え方に触れ、私は少しだけだが、人生で初めて自分のComfort Zoneの外をのぞいた気がした。

そして私にとって最も大きなComfort Zoneを超える機会である「アメリカ留学」を経験する。アメリカでは日本で経験できないようなことを沢山経験した。渡米1か月でアパートを追い出されてホームレスになりかけてしまったこと。どれだけ勉強してもテストで点数を出せず、単位を落としかけて強制送還される可能性があったこと。英語とスペイン語のバイリンガル学校でボランティアをしたこと。銃の所持や差別の問題など、アメリカの社会問題を肌で感じたこと。どれも今までの「ふつう」の生活では経験できなかったことだ。ホームレスになりかけてトラブル対処能力が身についたし、強制送還されかけて死ぬ気で英語と向き合えたし、バイリンガル学校でボランティアをしたことでアメリカの小学校のことが分かったし、社会問題を肌で感じたことで日本に帰ってからも社会に興味を持つようになった。自身の成長を感じることが出来た。

あえて専門外に挑戦することで、唯一無二のキャリアを作りたい

就職してからも私はComfort Zoneを抜け出すことを意識している。あえて自分の専門とは逆の製造業を選んで理系の勉強をしている。自分の苦手分野であるので中々手ごわいが、結果を出せれば「私、苦手分野でも結果出せるんだ!」と自分に自信がつく。もう少し結果が出せれば、自分の元々の専門分野と掛け合わせてまたComfort Zoneを抜け出し、唯一無二のキャリアを歩もうと思っている。

私は、このComfort Zone、すなわち自分にとっての「ふつう」を超えまくる人生が、めちゃくちゃ楽しい。楽しくて楽しくて、仕方がないのだ。「ふつう」を超え、自分の成長を感じるためにこの世に生まれてきたといっても過言ではない。

「ふつう」って何なんだろう? 人にもよると思うし、色々な人生があっていいと思うが、私はそんなまわりと一緒の人生、歩んで面白いとは思わない。出る杭は伸ばして、自分にしかできない唯一無二の人生を歩むほうが楽しいと思う。いつまでも居心地のいいところにいないで、自分のComfort Zoneを、「ふつう」を超えて、自分をアップデートし続ける。これこそがポストコロナのニューノーマル。令和時代の人生観の幕開けなのだ!