人間が3人以上集まる場というのは、良し悪しはさておき、人に対する判断基準が生まれることがある。

その概念の1つが「ふつう」だ。

「ふつう」って一体何だろうか。

私は、絶対的ではなく相対的なものであるとつくづく思う。

その場では「ふつう」ではなくても、他の場では「ふつう」であることなんてざらだろう。

しかし、まだそのような考え方には至らなかった頃。

どうも私は、学校という場で「ふつう」ではないことが多かった。

小さな「ふつう」じゃない自分が積み重なっていく

遊びに関心が薄く、SF小説や自宅の本棚に並んだ医療系の本を読んだり、勉強をしたりしていたこと。

話題のテレビや芸能人にさらさら興味がなく、「うそでしょ知らないの?」と苦笑した顔でしょっちゅう言われていたこと。

音楽といえば部活動で弾いていたマンドリンの曲。通学時や自宅でその時にはまっていた1曲をエンドレスリピートしていて、「何聴いてるの?」という友人からの質問にそのまま答えていいものなのかと内心不安と焦りでいっぱいだったこと。

周りの大半が近隣の大学進学を目指す中、遠方の大学進学を目指していたこと。

これらは一部だが、端から見たら、どれもそんなおおごとではないことは我ながら同感だ。
しかし、小さな「ふつう」じゃない自分が積み重なっていくと、それに比例するかのように、少しずつ自身への疑問と周りへの羨望が大きくなっていった。

なんで私は人と違うんだ。
大幅というわけではないんだけど、なんか人とずれてるんだよな。
嫌だなあ、私も「ふつう」になりたい。

しかし、想いと相反するように、どうしても行動を合わせられない自分もいた。 

ソーシャルセクターで、これまでの「ふつう」の概念が崩れ去った

大学生になると、大学・バイト・サークル・遊びといった、よく「ふつう」と言われていたことが自分には合わず、大学で学びながら、ソーシャルセクター(※社会課題を解決する組織のこと)でインターンやボランティア活動をしていた。(自分や周りの環境がきっかけで、高校生の時から社会福祉士を目指していたため、元々関心があったのだ)

そんな中、あるソーシャルセクターで、私がこれまで考えていた「ふつう」の概念が崩れ去った。
それは、学生のボランティア活動をサポートしている中間支援組織の長期インターンプログラムでのこと。

ボランティア学生のサポートを仕事にする、多種多様なバックグラウンドをお持ちの職員さん。
大学生ボランティア業界のことを知り尽くしているのではと思う程のインターン仲間。
活動内容や組織運営、資金調達に日々悩みながらも進めている大学生ボランティア団体のメンバー。
NPO、NGO、企業、行政など様々なセクターで、社会課題の解決のために取り組んでいるビジネスパーソン。

そこは、私がこれまで出会ったことのない空間だった。社会課題に向き合う全国の大学生やビジネスパーソンに出会ったのだ。
これまで周りを見て感じていた「ふつう」ではなく、私にとっての「ふつう」が広がっていた。いや、「ふつう」どころか、そこにいる人たちに終始圧倒されていた程だった。
今となっては、自分の中にあったネジが外れた瞬間だった思う。

変わらず大学では、周りと違う行動をしていてちょっと浮いてる人だったが、もう気にすることはなくなった。

いつの間にか、「ふつう」になりたいと思うことがなくなっていた

そんな経験が現在の仕事や活動にも繋がっている。目指していた社会福祉士になり、ソーシャルセクターで働いている。
私の周りには「ふつう」なんてないと言えるくらい、様々な人がいる。違いばかりで面白いくらいだ。

こうして、「ふつう」になりたいのになれない私は、いつの間にか、「ふつう」になりたいと思うことがなくなっていた。
これからも、もう思うことはないだろう。

だって、「ふつう」を超えた先には、心がわくわくするような素敵な景色が広がっているのだから。