「仕事に影響が出る」
「何故女性ばかり不便な目に遭わなければいけないのか」
「姓を変更する手続きには手間がかかる」
選択的夫婦別姓に関する訴え様々な場面で取り上げられているにも関わらず、いつの間にか抹消されている今の世の中。
「自分の名前が好きだから、姓を変えたくないのです」
私は物心が付いた時から自分の名前が好きだった。私にとって、名前が私のアイデンティティを最も見出すものであると思っている。
私のように考えている人は多分、たくさんいる。いて欲しい、という願いに近い。しかし、私の周りには私と同じ考えを持つ人が居ないため、SNS上で声を挙げている人は仮想なのか、パラレルワールドなのか疑っている。
結婚にまつわる、最近怯んでしまった3つの出来事
最近怯んだ出来事その一。
「じゃあ、結婚したら佐藤になるんだね」という女友達の発言。
まあ、そりゃあそうだよな。女性の中で、姓を変えることに抵抗を持っている女性はさほど多くはないだろうし、何よりそれを受け入れているのだ。既存の事実に疑問を持たないで生きていく方が楽だということは百も承知だ。
「私、名字を変えたくないなあ」拾ってもらえない発言は独り言同然。別の話題に移り変わり、私の意見は揉みくちゃにもされず消えていった。
怯んだ出来事その二。
恋人のお母様、「ご兄弟はいらっしゃるの?」
「はい、弟がいます」
「じゃあ、弟さんが家を継がれるのね」
まさか、と思った。流石に兄弟の話にまで予防線を張っておらず、心が崩れる音がした。勝手に継がせることになってしまった弟にも悪い気がする。
私は、私だけは、お前が結婚しようと一人で生きようと名字を変えようと婿に入ろうと、お前の味方であるからね。と、懺悔。
怯んだ出来事その三、ラスト。
この一連の会話を友人に話すと「でも、当たり前でしょ?」と一蹴された。
「名前を変えたいと思うほど、今の恋人を愛していないのじゃないの?」違うよ、と叫びたい。でも、適切な理由も思いつかず、噛み付くこともできない。本当は否定したいのに。
「自分の名前が好き。」じゃ、だめなの?
結婚願望はそれなりにあるけれど、名字は変えたくない
相手に一生を捧げることや住処を共にすること、愛し抜く覚悟は名字を変えなきゃ証明されないの?結婚はしたい、結婚に対する願望はそれなりにある。しかし、名字を変えることがどう考えても弊害のように思えてしまう。
「家族で異なる姓を持つと一体感が産まれない。」そう考える人は同姓にすればいいわけで、選択をする自由があっていいと思う。
しかし、若干二十の、そして女である私の意見が通るはずもない。私の訴えはとるにたらない呟きなのだ。
誰か、私をパラレルワールドに連れて行ってください。あわよくば、選択的夫婦別姓が認められている世界へ。