(これ、ちょっと前に聴いてたな)
テレビから流れる音楽を耳にすると、そんな感想が頭に浮かぶことが結構な頻度で存在する。その多くはコマーシャルのバックで流れているもので、中には時折音楽番組で注目されて紹介されているものもあれば、テレビではないけれども家族が流行りのアプリで聴いているものもあったりする。

しばらく聴いて気に入ったものは、なぜか売れ始めることが多かった

数週間か数ヶ月前かはばらつきがあるが──とにかく自分が少し前に、これはいいぞと思って聴いていたアーティストの音楽が何らかのメディアで使われ、そしてじんわりと世の中に浸透していく現象を、私はよく体験することがあった。へえそうなんですか、それだけですかと言われてしまえば、まあそれだけなんです、恥ずかしながらと頭を下げるしかないのだが、これも何かの縁なので話を聞いてほしい。

はじめてその現象を意識したのはいつだったかわからないが、ある日テレビを流し見していると、自分でふとした時に、何だかこの『気付く流れ』はよく体験するなと思ったことがあった。私は現代人らしく、パソコンで大手の動画サイトに接続して、そこから適当にバンド名やサムネイルを見てぴんときたものをひたすら五十曲くらい再生リストに突っ込んで、それからまとめて聴くという手法を学生時代から好んで使っていて、なかなかの曲数を飽きもせずに、ジャケ買いの派生のようなそれをずっと繰り返していた。そうしていると、マイナーなものはマイナーなままで日の目を見ることがないものも勿論あるのだが、不思議なことに、しばらく聴いて気に入ったものはなぜか売れ始めることが多かったのだ。

若々しい音楽が好きなおばや、流行の最先端にいるいとこに言われたら

最初のころは単なる気のせいかと思っていたが、それからあまり経たない頃に家族とだらっとテレビを眺めている時、冒頭のような一言をぼそっと呟くと、一緒に食卓を囲んでいたおばが「いつきちゃんが目を付けてた人って、何かそのうち売れるよね」と言ったのだ。いやいやまさかと首を振ると、スマホをいじっていたいとこが「確かにねー」と同意した。最近の流行りに疎い私だけがそう思っていたならいざ知らず、何気に若々しい音楽の趣味を持っているおばや、果ては高校生(当時は中学生だったかもしれない)という流行の最先端にいるいとこにまで言われると、それが本当であるような気もしてくるから不思議なものだった。

私は昔から音楽と本が大好きで、調子を崩して文章が読めなくなった時期も、前者の方はヘッドフォンでふんふんと楽しんでいた。

ただ耳にするだけで感情に揺さぶりをかけてくる、とんでもない存在

あのさりげなく韻を踏んで口ずさみやすくしているのに深い意味を持たせる歌詞の書き方だとか、耳障りな感じがするのになぜか何度もリピートしてしまうゲテモノをたまに見つけた時の敗北感のくせになる感覚だとか、すごい高音で歌うなあと思っていたら別の曲では別人みたいな地を這う声を出したという現象を目にした(耳にした?)際のあの驚きだとか、もう数え始めたらキリがない。音楽はただ耳にするだけで感情の様々を揺さぶりかけてくる、とんでもない存在なのである。

私はあまり世界と関わらない生活を長らく続けている。そんな暮らしの中でも家族や友人と繋がれているのは、そんな音楽の不思議な『気付く流れ』のおかげでもあると思うし、色々と苦労することの多い自分の独特な感性を受け入れられつつあるのもこれのおかげであると思う。鋭敏で鈍感すぎる耳と偏った記憶力もいいなあ、と感謝しながら、このことを書ける機会に出会えたことにも筆を置く直前に気付いた私は、やっぱりどこか偏ったバランスの感性を持っているらしかった。