もともと普通な場所にいたことなんてなかったのに、普通になりたかった。
馴染もうとしても馴染めないことにも、半ばいじめられていたことにも学生時代、気付きながらも耐えていた。
でも東日本大震災の年、浪人して孤独の果てと自分の限界に辿り着いてから、普通じゃない方を選んでいった。それが私の道になった。

夫は私たちとの関係を、父親であることをやめたいと伝えてきた

私たちの関係とは?
家庭裁判所7階。窓のない白い壁。
机を2つくっつけて、その周りに4つある椅子のうちの1つは荷物、その隣に私は座る。
個室の隅には沢山の闘いを受容すぎて生気のない観葉植物。
私は"話し合い"をしにそこに行く。

夫婦ではなくなるけど、親として父として、関係を続ける為に。私はあなたに会うことが怖いけど、あなたやあなたのご両親は子に会いたいだろうし。
「私、そっち連れて行くから」と、私は電話越しに自分の意思を調停員さんに伝える。

3度目の電話での離婚調停で返ってきたこたえは、"離婚も親権も譲る、子との面会交流一切拒絶、養育費も払いたくない"。

父親にそっくりな子どもの親権について両者主張する形で争っていたが、父親はもう終わらせたいらしい、私たちとの関係を。

電話から聞こえる調停員さんの言葉越しの彼の言葉の力によって細い細い 一本の糸、未来への可能性が消えていく。
電話を待たされる時間は砂が固まって止まってしまった砂時計のように長く、その間私は苦しみをただただ受容していた。
悲しくて苦しくてやり切れなくていつの間にか暗く落ちていた。個室の観葉植物は、こんな気持ちをいつも吸い込んでるのだろうか。

複雑になってしまうだろうけど、子の親として関わっていく道を模索する為に話し合いをしたんじゃないのか?

刻印のように息子にはあなたの遺伝子が入っていて、私じゃなくてあなたに似ているあなたの息子のことを面会拒絶なんて、会わなくても良いなんて言わないでほしかった。
一年以上会えなくて辛かったと思うけど、子育てする責任を完全放棄しないでほしかった。

溢れ出す感情は言葉になる前に、嗚咽となって部屋で独り、時は過ぎる。頭が痛い。

父親とは…。その「正解」はわからないまま

どこかしら夫に会えなくなったことで安心している私も、私たち母子を突き放されて吹っ切れた私も居る。
でも改めて、父とは何か父性について考えなくては、と思う。
変わり続ける社会と共に父性も更新しなければ、私はトラウマを父という生き物に対して2回、受けたことになる。
実父と、夫と。
ジワジワと締めるように閉ざされて、時間をかけて精神的に加害された。
私は父親という生き物の正解がわからない。

家族の話を学校の授業なんかでするのは嫌いだった。
私の父はふつうのお父さんじゃないから。
日曜日に行った場所なんて聞かないでくれ。
ある日曜日、怒って父が椅子を投げて窓にぶつけた夜のこと。近所の話では地震が起きたことになってるよ。
母の顔の痣は自転車でこけたことになってるよ。
全部見ていたけど、私は何にも出来ずに冬空のベランダに出て、全てが終わるのを待っていた。

嫁は、妻は、お母さんはこうあるべき、と突きつけられて、食卓で自分の作るご飯の味がしなかった1年間。
私は母乳を出す為に冷めたエサを作って口に入れていた。
"余計なことは言わないように"マシーンのように微笑を浮かべ相槌を打ち黙っていた。
それを良しとしていた夫。
こんなお母さんが欲しかったの?

私のいる世界じゃないと思って、逃げた。

あの生活が「普通」なら、もう戻らなくていい

でもそれだけが、父じゃない、家族じゃないことはなんとなく知っている。
彼らと私は小さな信頼関係の芽を育んでいた時期もあったのは、しっかりと覚えてる。
でも今後私の中で更新しないと、父性を敵とみなしてしまう。

リスキーな自由と続きのない鉄格子を紙一重の選択をいつも皆、持っている。
間違いなく私は、これから経済的にもこの将来を考える上でも選択肢の限られることをしてしまった。

それでも、自由を求めた。
思考の中の鉄格子からすり抜けて一筋縄ではいかない自由を手に入れた。

歩き始めた息子を抱いて、片道の飛行機に乗った夏の終わり。
保育園帰り、息子を乗せて月を見ながら自転車を漕ぐ冬。
"あの頃"として振り返った時、思い出たちはどう蘇る?

普通には、戻れない。普通が "あの程度"なら戻らなくていい。
この混沌とした、隔絶されそうな社会の中で心地よい小さな家族、唄たちを紡いで奏でる未来は希望になりますか。
あなたの希望になりますか?
ママは、それを貴方に与えたい。

子へのギフトは肌とか歯、しつけ、沢山あるけれど、私は貴方に自由を与えたい。
性別を越えて貴方が貴方で居る権利。
ママはすぐ泣くし怒るし貯金が苦手で、子育ても家事も下手くそでトロいけど、一緒に歌って過ごそうよ?

この生きづらい世界の中で、境界線を越えて。
心の旅を続けていこうね。