町中で赤ちゃんが大声で泣いているとき、私は「うらやましい」と思う。

社会人5年目にもなり、感情を抑えて対処する、という術を身に着けてしまったように思う。湧き上がる激しい感情からくるエネルギーが、マインドフルネスでいなされてしまうとき、私は、大人になったと感じるとともに、少しさみしく思う。
最近、力いっぱい泣いたことがあっただろうか。最後に怒りに任せて愚痴をぶちまけたのはいつだっただろうか。

衝動的な感情表現をできないのは、思えば昔からかもしれない。
7年前父の不貞が判明し、母と離婚をすると私に伝えてきたとき、私はどうしたらいいかわからなかった。
姉は、断固反対して、強硬な態度にでた。二人が喧嘩するたびに、姉は事あるごとに不貞を取り上げ、それをやめるように率直に父に伝えていた。例え論理的に破綻していようとも、彼女は自分の気持を目一杯表現していたのだった。
私は、人の考えはそう簡単にかわるわけではないのだから、当人同士の問題なのだし、と変にものわかりのいい態度でいるのであった。そして、思春期に唯一の理解者でいてくれた父親を責めることができなかった。両親は、結局離婚はしなかった。

姉の結婚式の日、発見してしまった父の裏切り

そんな姉は、率直な性格を愛してくれる旦那さんを見つけて先日結婚した。頑固だけど、思いやりのある彼女の性格を理解していて、夫婦仲も良好。義理の兄は、“彼女の気持ちをもっとよくわかりたい、というときに結婚を意識した”と話していた。

そして結婚式の日、私は父の不貞が今も続いていることを知る。写真を交換するときに父の携帯を操作すると、相手からのメッセージ通知が入っているのであった。
私は腹が立って、泣きたかった。この家族の幸せな瞬間に、裏切りの瞬間を発見したこと。7年に渡る裏切りにもかかわらず、父が夫婦とはなんたるかの講釈を得意げに垂れていること。そして、いまここで私だけが悲しみに暮れていること。
振り袖を脱いで、何を見たかを話して、大泣きして会場をでることを何度も想像した。しかし、小心者の私はただ、黙って時間をやり過ごすのであった。

赤ちゃんのように、気に入らないことに全身で泣きたいけれど

赤ちゃんが泣く理由はシンプルだ。何かが気に入らないからだ。大人は、気に入らないなら自分で行動を起こさなければいけない。大声で泣くだけではなく、助けが必要なときは、明確に要件を伝えることが求められる。
私は決して弱い人間ではなく、大抵のことはなんとか対処できるようになった。
ただ、悲しいときに泣けない、小心者の自分は7年前のままなのである。