2020年。社会人2年目の梅雨入りしたころ、人を笑顔にすることが大好きな私がうつ病と診断された。1本の道しか見えていなかった私は人生の終わりを告げられたようだった。
体のエンジンが悲鳴をあげているのに、私は何も疑問に思わなかった
2年目になっても、会社へ行くことが楽しかった。なぜなら、目標に掲げている役職があり、今日の仕事はその役職を勝ち取るためのプロセスだと思うと、辛い仕事でもワクワクに変わったからだ。
有難いことに沢山の仕事を振っていただけるようになり、私はエンジンが全開だった。
そして、新入社員の指導グループに選出された。2年目が選出されることは珍しく、すでに全開になっているエンジンに、更にアクセルを踏んだ。
アクセルを踏み続ける日が続く中、不意に涙が出るようになった。
「最近、パソコンに向かう時間が長いからな」と思い、目薬を買って解決。か、と思いきや、不意の涙は止まらない。次は、全く眠れなくなった。
「疲れすぎると寝れなくなるよな」と思いつつ、全く寝れない日々が続く。
そして、過呼吸、手の震えが止まらないなど、体のエンジンが悲鳴をあげているのに私は何も疑問に思わなかった。
目の前の目標の役職までの道筋しか見えていなかったからだ。
そこで訪れた、久しぶりの連休。移動中も仕事に夢中になりながら、実家に帰った。
実家のご飯が温かくて、食べながら涙が止まらない。久しぶりの実家のご飯に感動しちゃったのかなと思い、涙を拭った。
でも、私を育ててくれた母は私のエンジンがボロボロになっていることを見抜いていた。
母に強制的に病院へ連れて行かれる道中、自分の何がおかしいのか全くわからなかった。
「重度のうつ病です。明日から仕事に行かないでください」。医者からのこの言葉で目の前の道に大きな壁が塞がり、真っ暗になった。
立ち止まってみると、世の中には他にもたくさんの道が広がっていた
大きな壁を見上げながら、真っ暗な日々が続く中で自分の本当の姿を考えるようになった。
今まで目の前の役職までの道筋しか見えていなかったが、立ち止まってみてみると世の中には他にもたくさんの道が広がっていた。
昔からの自分を振り返ってみると、劇団を設立したり、ファンクラブの運営をしたり、ゼロから何かを作りあげて、人を楽しませることが好きで創作していく時間が1番生き生きしていたことに気がついた。
自分が目指していた役職は「カラスは白」といわれたら「白です」という世界。
だから、自分の本来の姿を生かせる道に戻すために、うつ病という大きな壁を作ってくれたのだ。
うつ病はすぐに寛解する病気ではない。マイナスの印象をうけることも多い病気だが、私は本来の自分の姿を取り戻すきっかけを与えてくれて、感謝している。もし、大きな壁が立ち塞がらなかったら、何十年も偽りの自分で過ごしていただろう。
たくさんの道を旅して、自分にあう道を。作品で人を笑顔にしたい
だからこそ、うつ病は一生を共に歩む相方として一緒に戦っていきたい。
世の中に広がるたくさんの道をうつ病という相方と共に旅をする1年にする。たくさんの道を旅して、自分にあう道を見つけたい。まずは、デザイン、写真などゼロから作り上げ、作品で人を笑顔にできる道を旅しようと思う。
そして、ライターとして相方であるうつ病を紹介していきたい。私のように体が危険サインを出していても気づかず、働いている大人はたくさんいるはずだ。はじめの出会いは絶望に感じるこの相方も意外にいい奴でもあるんだと。
うつ病という相方に苦しむ人を救う活動も大切にしていく1年にしたい。
自分の活動が誰かの笑顔になる日を夢見て。