理想の国。それは、誰もが幸せに過ごせる国だろう。幸福度が高い国はいい国だとされている。でも、幸せの形は人それぞれだから、ある人にとっては都合がよく、ある人にとっては何の影響も受けないような取り組みがあるのは当然だ。全員にとっての幸せを生み出す完全無欠の政策はありえない。
では、理想の国づくりのために大切なことは何だろうか。それは、不公平がないことだと思う。特に私が着目するのは、家庭環境の不公平さだ。
「よーいドン」で社会に走りだすにもスタートラインに立てないなら?
家庭を、社会の最小単位だと考えてみよう。人間は家庭で個人として認められ、尊重されることによって、家庭の外にある社会で生きていくためのスタートラインに立つことができる。ということは、個人として認められず尊重されなければ、スタートラインに立つことができない。
スタートラインに立てるか、立てないか。幸せを左右するとても大きな要因であるのに、運に任せるほかない。
私は、自分が生まれ落ちた家庭環境を拒絶する。
物心がついたときには、泣きながら両親のケンカの仲裁をする日々を送っていた。「私が悪い子だから両親の仲が悪いのだ」と自分を責め、身体を傷つけた。家の中では「キチガイ!」という声が響き合う。父親が暴力を振るうので、母親が警察に通報する。何度も警察が家にきた。
両親の離婚 それでも私がスタートラインに立てたのは6年後だった
高校生になり、やっと平穏が訪れた。両親の離婚だ。家を出ていく母親の表情と言葉は、今でも鮮明に思い出される。「あなたのせいでママが不幸になってもいいの!?もう限界!!」。不倫相手の家に転がり込んでいった。
さて、とっくに限界を迎えていた私の心は、父親へと牙が向く。母親とまったく同じように、「お前のせいで、私は不幸だ!死ね!」と叫んだ。暴力も振るった。背中を何度も蹴り、父親を気絶させた。頻繁に過呼吸になり、何度も倒れた。もう、心が壊れていた。
現在、私は心療内科に通っている。6年目になる。やっと、スタートラインに立つことができたと感じる。なぜなら、幸せを少しずつ受け入れられるようになってきたからだ。27歳。やっとここまできた。本当に、険しい道のりだった。
私には衝撃的だったありきたりな言葉 それも今は力強いエールに
それでも何とか乗り越えられてきたのは、ある言葉との出会いだった。「人間は幸せになるために生まれてきた」。ありきたりに聞こえるかもしれない。けれど、私にとっては、衝撃だった。幸せになれるわけがない、嘘つきだと何度も思った。
でも、今ならわかる気がする。これは、エールなのだと。どんな人間も、幸せを目指していいのだと。私は、不幸な環境に生まれ落ちたけれど、幸せになる権利がある。
家庭環境だけが幸せを左右するわけではない。親以外の人間との出会いや言葉に救われることがあるじゃないか、という主張を受け入れよう。しかし、スタートラインに立たせてもらえない人間は、自分から幸せを遠ざけてしまう。幸せを受け入れる素養があるのと無いのでは、人生の幸福度に差が生じる。
虐待は、個人の幸福を邪魔する。呪いのように。私の理想の国は、全員が、スタートラインに立ち、当たり前に幸せを目指せる国だ。どうか、この主張に清き一票を。