「結婚」・・・この言葉を聞くと、耳が痛くなってくる。最近は頭まで痛くなってきそうだ。今年で私も30歳。周りが「結婚しないの?」とか、「彼氏作んないと!」とか当たり前のように言う。そこまで言うんだったら、そういった候補連れて来てほしいと心の中で思うけど、口が裂けても言えないのが現実。

終いにはこの間の昇進の話も“女性初のスーパーバイザー”ともてはやされたが、「こいつ結婚しなさそうだしなー」って流れで決まったんじゃないよね?と思ってしまう、いわゆる“こじらせ女子”。いや、もう女子って言う年齢ではないから、“こじらせ女”といった所か。結婚って何?今思っているモヤモヤを記そうと思う。

15歳だった私は、父の死をきっかけに「結婚」の現実を知った

子どもの頃、私は結婚って女性の為のものだと考えていた。“結婚”の漢字を見ると、女という文字が入っているし、女性の名字が変わるのが主流だ。英語でも結婚をするとMissからMrs.に変わる。子どもの頃からお嫁さんという響きにときめきがあったわけではないけど、自分もいつかは当たり前のように結婚して、子どもを産んで・・・そう考えていた。

だが、その考えががらっと変わってしまう出来事が起きる。父の死だ。以前に別のエッセイで、高校1年生のときに父が急死したことを書いた。 その死因は大きな声では言えないものだった。

このことで、母がうつになったことも記したが、それだけではなかった。被害妄想かもしれないけど、親戚から馬鹿にされている感じがした。父のことも信じられなくなったし、自分自身もあんな風になってしまうのではないかという恐怖が襲ってくる、15歳の子どもにはかなりきついものがあった。

このことで、結婚というのは綺麗なものだけではない、他人と他人が家族として一生涯おつきあいをする、それが目を背けたいことだったとしても否が応でも向き合わないといけない。何を言われようが我慢しないといけない。ある意味現実を見ることができるいい機会だったかもしれない。

子どもが欲しい一方で、恋愛すらできなくなった私がいる

大してぐれることもなく、大学に行き、社会人になった。そして同級生が結婚したり子どもがいたりとする年頃になってきた。うらやましいと思う一方、家族・親戚という形にいい印象を持てなくなってしまった私にとって結婚は二の次、自分は結婚しちゃいけない。そう思ってしまうことがある。

でも子どもが好きな私は会社の人のお子さんと触れ合っていると、「子ども欲しいな」とも思う。その一方で自分の血のつながった子どもは欲しくないと思うときもある。結婚したいようなしたくないような、そんな複雑な想いを抱えながら、恋愛すらできなくなってしまっている私がいる。あぁ、また頭が痛くなってきそう。

「父と結婚してよかった?」その問いに母はYesと答えた

何度か母にそれとなく聞いたことがある、父と結婚してよかったかどうか。母はちょっと迷ってはいたけどYesと答えた。

親戚づきあいとか面倒なこといっぱいあったし、私自身も耳が悪かったこともあり子育て自体もかなり大変だったはず。父が亡くなってからもいろいろあったし。それなのにNoとは言わないのだ。あれだけしんどかったはずなのに。

再婚したいとは言っているけど再婚していない。ひどいことされたから母だけでも名字を戻したら?と提案したこともあるけど、それだと父との思い出がなくなりそうとそれもしない。母は本当に父のことが好きだったんだなと思う。

母の話を聞くと、結婚というのは他人同士がもがきながら、苦しみながらも家族になっていくことなのだと、今の私は解釈している。いつか私にもそういった人が現れるのだろうか。出会えるといいな。子どもの頃に考えていた“当たり前”の結婚ではなく、“人生を賭けた”結婚をしてみたい。