小さい頃は、王子様に出会うことが人生の目標だった。テレビの中のアニメで輝く女の子たちは、かっこいい男の子に出会い、幸せに暮らしていた。

中学・高校・大学、私は王子様を探していた。王子様というより、私にぴったり合う素敵な男の子がいてほしいと思っていた。「なるべく大学の中にいい男は捕まえておきなさい、じゃないといなくなってしまうから」というアドバイスを何度も聞いた。まるで“いい男”は期間限定商品で、なるべくそのレベルに釣り合うように努力しなければ、私も残り物として一生を終えなくてはいけないような緊張感が漂っていた。

そうでなくても、白状しよう。私は、いずれ結婚するものだと思っていた。好きな男性を見つけたら、ドレスを着て美しく着飾って、有終の美を飾りたかった。……そこで人生が終わりだというわけではないのに。

そして突然、私は自分の可能性の楽しさに気づいてしまった。

新たな環境で感じた充実感と「自分の可能性」に対して

大学卒業を伸ばして一年間過ごした留学先で、一人で暮らしを始めた。全く知らない人々ばかりいる環境に身を浸し、私の身体と脳は今までにないくらいの快感と充足感を覚えていた。私の思考は拡大し、そこではアジア人として括られ、異物としてその場所に根を下ろす行為は、挑戦と挫折と時には鬱屈と、だけど最大値の喜びがもたらされた。

私は世界を見たい。どのような人がどんな気持ちで自分の国を見ていて、どういう気持ちで移民を受け入れているのかを知りたい。

私は異邦人として、この人たちに会いたい。私は、まっさらなキャンパスだ。私もペンを持って、あなたもペンを持って、私に書き入れてほしい。私とあなたの、もしくはあの国との、関係はどうなるのか?

そして、私は自分にとっても異邦人である人たちとの間に何を見るんだろう。それを言語化することは可能なのだろうか。私は、日本語以外の言語でも、文章を書き続けたい。私は英語以外の言語もマスターできるだろうか……。

この楽しさ、文字通りの世界に全身全霊でぶつかっていきたい。私にはその耐久力と跳躍力がほしい。いつか、国境なんて軽々と飛び越えるための財力もほしい。

選択肢はたくさんあるから…「結婚」にこだわる必要はない!

結婚だって? どこか一箇所に根をおろしたくない。

そして、結婚したら「いつ子供を産むの?」などと言われるだろうけど、子供がいたら、簡単に世界中を移動したりできなくなってしまう(自分の世話で手一杯になってしまう)。そもそも、子供にかけるお金があるのなら、私は大学院に行くし、チャリティに募金するし、住処を動かしまくっている。子供が嫌いなのではない。子供と関わる方法はたくさんある。広義の意味での子育ては、例えばボランティアで子供の勉強を助けるとか、ベビーシッターをやるとか、選択肢はいろいろある。別に私の血がそこに混ざっていなくても良い。

というか、結婚って本当のところ、課題か何かなの? 結婚しないと周りに誰もいなくなるとか、人生は真っ暗になるとか、そういう呪いでもかけられているんだっけ? 

私が結婚、ひいてはパートナーに求めるものは、精神的に深い繋がりだ。日常の小さいことでも分け合いたいと思えるような信頼できる相手と、いつまでも夢に向かっていたいし、新しい世代とも関わっていたい。

私にとって結婚とは、悩みを解決してくれる「魔法の言葉」じゃない

極論をいおう。別に結婚していなくてもいいし、なんなら男性でなくてもいいのだ。それに気づき始めた2020年、私はバイセクシュアルかもなと思う出来事もあったし、ついでにノンセクシュアルかもしれない。

“結婚”という言葉には、もう夢や希望を感じなくなっていた。少なくとも私にとって、“結婚”は日常の悩みを全て解決してくれる魔法の言葉ではない。

私は自分の将来と可能性に一番興味があるし、私が突き詰めて考えたい移住のこと、世界の様々な差別のこと、文章を書くことは一生かかったってやりきれない。

世界にはこんなに面白い風景が溢れているというのに、そして私にはその多くを見れる可能性があるかもしれないというのに、それを後ろに追いやってまでする結婚って、なんだろう。