『結婚』とは、妥協と諦めの産物である。

因みに、筆者は未婚である。
なんなら、彼氏いない歴=年齢の数。
浮ついた話のひとつも無く、28年。
クリスマスを通り越して最早年末。
四半世紀前ならば『売れ残り』と言われてしまうお年頃だ。

どんなに独り身の惨めさに、恨み辛みを吐いたとしても

この文章を書いている本日、12月30日。
接客業に従事する筆者は本日から5連勤が確定しており、世の中が仕事納めと浮かれる中寒さに震えながら帰りの電車を待っている。

コロナだなんだと世間は騒がしいけど、自粛なんてなんのその、今日も大量にやってきたお客様対応でくたくただ。連勤初日だなんて信じられない。
明日は閉店時間が早いから、12時間もしないうちに身体は職場にあるんだな、と思ったら駅のホームだと言うことも忘れて叫び出してしまいそうだ。

家に帰っても電気はついていないし、暖房だってかかっていない。
出来合いのお惣菜をチンして食べて、お風呂やらなんやら準備をしたら、今日は何時間寝られるんだろうなあ。
これ、フィクションかな?と思うでしょ?
全部ほんとうなんだなあ。

28歳彼氏無し、同居人無し女のリアルである。
はーーーーー、結婚したい!!!!

……って、なると思います?
ならない。
どんなに独り身の惨めさに恨み辛みを吐いても、だから結婚したい!とは、ならない。
こんな風に書くと、劣悪な家庭環境の中でさぞ不遇な幼少期を送ったのでしょうね、と思う方もいらっしゃるかもしれない。

怒号飛び交う茶の間、両親共働きで一人寂しい食卓…そんな幼少体験記を期待された方、ごめんなさい。
祖父母と同居、母は専業主婦、父はいわゆるブラック企業勤めであまり家にいなかったが自宅には常に家族がいる。

両親も気質が似ているのか、喧嘩しているところを一度も見たことがない。
一般的な、ともすると幸福でさえあるはずの家庭育ちの私が何故、結婚は妥協と諦めの産物だと思うのか。

祖母の影響で、御伽話の様な甘い幻想とは別のものを感じていた

それは一重に、同居していた祖母の影響であると思っている。
昭和初期生まれの祖母は生家が商いをしていたらしく当時の女性には珍しく高等教育を受け、25、26まで働いた職業婦人、というやつだったらしい。はっきりと物を言う男勝りな祖母。伸び伸びと育った祖母が嫁いだ先は、義母は日本髪を結い女は三歩後ろを歩くもの、がまかり通る田舎の元名家だった。

祖母が嫁いだ時点で既に権威も資産もない家ではあったが、プライドだけは異様に高かった。大正生まれ、長男、というお坊ちゃん育ちの祖父と、引くことをしらない祖母。
その相性は非常に悪かった。
何度も実家に戻ることを考えて、『子供がいるから』と離婚できなかった、と語る祖母。

弟が産まれたばかりで祖父母にべったりだった私は、祖母の部屋で寝物語にそんな話ばかり聞いていた。
ブラック企業勤めであまり家にいない、いても寝てばかりの父の姿も相まって、幼心にも『結婚』というものに御伽話の様な甘い幻想とは別のものを感じていた。

誰かと付き合う必要性を感じる間もなく、上京してもうすぐ10年

女子校に進学した6年間、男のいない女の園。大学での学部も女子に偏っていた。
多感な時期を男性と触れ合わずに過ごした私は、女だけでも楽しめる術を知ってしまったし、なんなら未知の存在である男という生き物に若干の苦手意識すら持っている。

テーマパークにイベントにライブ、インターネット、ゲーム…。
特に都心部には楽しいことが目白押しだ。
誰かと付き合うことの必要性なんて感じる間もなくもう上京して10年が経とうとしている。

一昨年、久々に実家に帰省した折、母にこう愚痴られた。
『(筆者が結婚しないのは)お母さんが幸せな家庭像を見せてあげられ無かったからよぉ、だってさ』
井戸端会議中、今は巣立った子供たちの話の中で、ご近所さんから投げかけられた言葉らしい。

私が結婚しないことと、母にはなんの因果関係も無い。28歳未婚の私は、私の選択の結果だ。

そもそもとして、あんたらには他人の家庭事情くらいしか話すことがないのか…。
これを田舎の閉塞性と捉えるか、旧時代的な考え方と捉えるか。それは読者の勝手だし、結婚や家庭に幸せな側面があることも理解できる。

ただ、私がそう思わないというだけのことだ。
結婚は妥協と諦めの産物だと思うけど、冬の夜風は寒いし、他人の幸せマウントにはやっかみを持ちもする。
こんなことを書いたら、これも負け犬の遠吠え、なんてことになるのだろうか。