びびっ…私の脳内で響いたのは2019年9月。少女漫画でしか見たことのないような表現が自分の身に起こるとは思ってもみなかった。

びびっと来てから2日で付き合い、1週間で結婚指輪を購入した

自由に独り身を謳歌するのも悪くないと思っていたその頃、今の旦那に出会った。正確には、元々二年前から知っていて最初は何回会っても顔と名前が全然一致しなかったのに、突如びびっとくることもあるらしい。

これはすぐに結婚しなくてはと何故か直感的に強く感じた私は、びびっと来てから2日で付き合って、1週間で結婚指輪を買い(プロポーズというプロポーズはないし、婚約指輪もない)、2週間目で相手の親に挨拶、次の週には私の親に挨拶を済ませた。1か月で両親の顔合わせにまで至り、その翌々月から行った2か月の婚前旅行では世界中を回り、帰ってきたらすぐに籍を入れた。

不思議とこんなスピードであれこれ進めても私の中に不安はなかった。むしろ、今後の人生がうまくいく気しかしないという自信に満ち溢れていたのである。

自分も父も、結婚は明らかに人の価値観を良い方向に変えている

一方、結婚をしても子供が居なければ、正直特に今までの生活と何も変わらないのではないかと思っていた。しかし、その考えは全くもって間違っているということがすぐにわかった。

私は元々一人だととても面倒くさがりだ。独身時代の私と言えば、部屋は散らかしっぱなしで料理は過去5年程したことがないし、貰ったお金は全部使うので貯金もゼロ。面倒くさがりやで運動も全くと言っていいほどしない。
そんなひどい状況だった私が、今やこまめに片づけをするし、常に家には花を飾っている。貯金は今まで何が難しかったのか分からないくらい簡単に増えた。旦那と一緒にジムに通い、うちで作るごはんは美味しいねとにこにこしながら楽しくご飯を食べている。これらのことを面倒くさいと思うのではなく、自然とやってしまうのが結婚の恐ろしいところである!

また、結婚して間もなく、旦那が転職した。ザ・昭和の典型的な父親のようだった堅物の父がそれを怒らないかと心配しながら報告すると、「いいね。今のうちに色々なことを経験しておくといい。もし旦那君が稼げなくなったら、その分お前が稼げばいいじゃないか」と言う。すっかり令和の父になっていた。どうやら、一番末っ子の私の結婚により、父ももうすべて子供たちを信じ切って任せようと自信をもって思えるようになったのだと言う。自分を見ても父を見ても、結婚は明らかに人の価値観・考えを良い方向に変えている。今のところ。

私を育ててくれた母、生涯をともにする旦那、二人の愛が詰まっている味

今日は2021年の初日。結婚二年目に突入である。
朝起きたら、旦那がお雑煮を作っていてくれた。これが、私にとっても旦那にとっても今まで食べた雑煮のなかで一番おいしいものであり、朝から二人できゃーきゃー感激してしまったのであった。お母さんごめん、今までお母さんに作ってもらっていたお雑煮よりもずっとおいしい...。

しかし実はこのお雑煮には年末に遠くに住む私の母と、旦那と私がLINEで繋ぎながら一緒に取った一番だしを使っている。なのにそれよりずっとおいしいということは、やはり母と旦那のシナジーが今回の解であろう。私を大事に育ててくれた母、そしてこれから生涯を伴にする旦那、二人の愛が詰まっているからこその味。
家族と家族がつながる、ということの意味を改めて感じて幸せを感じた、一月一日であった。