夫と最後に会った日から、一年が経とうとしている。初めての結婚記念日は、一人で迎えた。

海外赴任が決まった夫を空港で見送った時、静かに涙を流していた彼の顔が、私の中の最新の映像だ。本来ならば、数ヶ月後には自分も帯同するはずだった。しかし、新型コロナウイルスの影響により、渡航先が入国禁止措置を取り、道が閉ざされた。よりにもよって、私の誕生日に突きつけられた現実である。人生で最悪の知らせだった。

2、3ヶ月後には緩和されるだろうという話だったが、一向に事態は収まらない。いつまで禁止という具体的な期限は提示されず、先が見えない日々が続いた。

ついていくために仕事を辞めたのに。会いたい人に会えない日々

この頃、私は6年半ほど勤めていた仕事を辞めて、有休消化中だった。仕事が好きで、何より一緒に働く職場の人たちが好きだったので、退職は辛かった。それでも、夫についていこうと決断した。
久しぶりにできた自由な時間は、開放的で楽しいものではなく、閉鎖的で苦しいものだった。考える時間ができてしまったことで、持ち前のネガティブ思考が炸裂し、会いたい人に会うことができない辛さに呑み込まれそうだった。

夫は優しい。穏やかで物腰が柔らかく、人を否定したり馬鹿にしたりすることがない。努力してやりたい仕事に就いているところも尊敬する。何より、ポジティブなところが素晴らしい。決して、元気を押し付けてきたり、根拠もなく励ましてきたりするわけではなく、発想の転換をしてくれる。
私が、「今日もダラダラしてしまった。自己嫌悪だ」と言うと、「休むことも大切だよ。休んだ分、明日からのエネルギーになるよ」と言ってくれる。
そんな彼は、コロナ禍においても気丈だった。異国の地で大変な思いをしながらも、こちらのことを気にかけ、沈みそうな私の手を取ってくれた。頑張っているからと、私の好きな食べ物を送ってくれたり、結婚記念日には花束を送ってくれたりした。私が、趣味の音楽にお金をかけることをためらっていると、楽しいことも必要だよと背中を押してくれた。 

今は心に触れることしか出来ないけれど、嬉し涙を流せる日まで

一部の身内からは、「新婚なのに一緒に住んでいないなんて、結婚した意味ないね」と会う度に言われたが、私はそう思わなかった。言いたいことはわかるのだが、意味はおおいにある。
愛し愛されることを感じている。彼がいるから、自分も頑張ろうという気持ちになれる。直接彼を助けられないのは辛いが、日々のやりとりで寄り添っている。この大きな壁を乗り越えられたら、深まる絆もあるだろう。
甘く煌めくような毎日ではなくても、幸せを感じる瞬間が確かにある。心が躍ったり、胸が弾んだり、スキップしたくなったりすることもあるのだ。

今は、前向きな時間の使い方をできるようになってきた。
新たな仕事を始め、スキルを上げるための勉強もしている。料理も特訓中だ。
相変わらず、先が見えない状況だが、生きている限り希望はある。
夫に限らず、手を差し伸べてくれる家族や友人のおかげで前を向けている。自分はつくづく、人に生かされてきたのだなということを感じている。そして、新たなエンタメとの出会いにより、心に栄養が注がれた。悪いことばかりではなかった。

助けてもらうことが多かったこの一年。自分も人の助けになれる人でいたいと思っている。大好きな人にはなかなか会えないし、もう会えない人もいる。
それでも、生きようと思う。
夫について、今は心に触れることしかできないが、会えた時にはその手に触れたい。抱きしめたい。嬉し涙を流したい。
その日に向かって、今日もあなたと進んでいこう。