普通に考えて、わたしたちは「普通」を信仰している。

普通に起きて/起きないで、普通にごはんを食べて/食べないで、普通に通園/通学/出勤/家事/育児/なにもしないをする。それらの行為が堆積した総体がわたしたちが信仰する「普通」である。

幸福そうな母の顔に、わたしは疑いようのない「普通」の未来が見えた

当然のことだが行為は環境や立場によって大きく変化する。変化するから、ときには意に沿わない「普通」を信仰しきってしまうこともある。

例えば、わたしの場合。
子どもの頃のわたしは商社マンの父に専業主婦の母、それから弟と首都郊外の家に暮らしていた。
小学校から家に帰ると母親が手作り菓子を作っている。日によってコンディションの違う菓子たちは、ときにボソボソと、ときにサクサクと、ときにべちゃべちゃと、ときにふわふわとしていたが、とにかく大量に作られており、わたしと弟は菓子の取り合いをすることもなく焼かれた小麦粉で腹をたらふく満たしていた。おそらく市販の焼き菓子と同等、あるいはそれ以上の値段の材料を使い、不安定な菓子を作る母の顔は、しかし満たされ幸福そうであり、そこにわたしは疑いようのない「普通」の未来――まずまずの四大を卒業してまずまずの企業に就職し、まずまずの男と結婚して、まずまずの家庭に入り子どもを産み、まずまずの焼き菓子を作る――を幻視した。父は仕事で海外を飛び回り、ほとんど家にいなかった。

高校生の頃、家は居心地が悪く、なぜかわたしだけが満たされなかった

様子が変わってきたのは高校生の頃だったろうか。母親と弟と同じように過ごしているのに、なぜかわたしだけが満たされなかった。わたしだけがこの生活を、たしかに信仰できなかった。それなのに、信仰できる「普通」は家の中にしかなかった。
拘束時間の長い部活に入り、唯一の休日たる日曜日にはマクドでバイトする。テスト前で部活がない日は駅前のTSUTAYAや本屋に入り浸った。気づくと顔から背中にかけて真っ赤なニキビで覆い尽くされている。
本屋での立ち読みで知識だけをつけたわたしは、家での居心地の悪さも、ニキビも、思春期の成長ホルモンが「普通」に働いた結果だと得心していた。

わたし、20歳。
身長は伸びなくなったが、実家での満たされなさもニキビも健在のまま成人したその年、父親が出奔した。
父と同い年の女の人と本気の駆け落ち。思えば家にほとんどいなかった父も、家の中で形成される「普通」を、たしかに信仰できなかったのだろう。
わたしが揺らぎながらも信仰し続けた「普通」は音を立てて崩れ落ちた。……なんてことはなく、すこしだけ変容した「普通」の生活がただはじまっただけだった。

幻視した「普通」の未来から脱却してもなお、普通は続いていく

しかし、わたしは、幼いわたしが幻視した「普通」の未来が唯一無二のものではなく、そこから脱却してなお普通は続いていくという事実を知った。

父出奔の日、取り乱した母に呼び出され、慌てて実家に帰り、父のいなくなった実家の玄関で、しずかに飲んだリンゴジュースの味を、いまだに夢にみる。

大学を卒業して大学院に進学したわたしはそこで出会った夫と学生結婚をし、子どもを産んだ。夫はエンジニアとして、わたしは零細個人事業主として働きはじめた。気がつくと、顔や背中のニキビはなくなっていた。

わたしは、いま、「普通」をたしかに信仰している。そして、たしかな信仰は居心地がいい。

わたしは料理が苦手なので夜ご飯は夫が作っている。
夫がいない夜はたいてい、近所のスーパーの惣菜コーナーでから揚げと副菜を買う。
パックのままのから揚げを、保育園から帰ったむすめの前にドカンと出すわたし。その顔はきっと、幼い頃に見た母の顔とよく似ているのだろう。