「しばらく連絡しなくてごめんね。また写真みせてよ。あと、悩みがあったら聞くよ?」
届かないごめんねを、あと何回繰り返すのだろう。
私とA君は、高校の時に知り合った。入学当初はクラスも違って接点はなかったけれど、同じグループと仲良くなってから段々と一緒に行動する事が増えた。
けれど特別仲がよかった訳ではなく、あくまで仲良しグループの一人という位置で、私とA君の高校生活は過ぎていった。
高校卒業後私は大学、A君は写真の専門学校に進学した。
卒業したらあまり会うことはないだろうと思っていた私達をつなげたのが、当時流行りだしたSNSだった。そのSNSに私が登録してすぐ、「知り合いではないですか?」の欄に表示されたのがA君で、私は気軽に友達申請ボタンを押し、A君もすぐに承認。私達はSNSでつながり始めた。
SNSで私達は時々お互いの投稿にコメントをつけ、やりとりして過ごした。頻繁ではなかったが、どちらかがコメントすると必ず返した。今でも私はA君とそのSNSでしかつながっていない。
近くない距離を電車で展示を見に来てくれたAくんとの間をつなぐもの
私は大学で写真サークルに入った。写真サークルでは定期的に展示が行われ、サークルのSNSで宣伝される。SNSをしている部員はその投稿を拡散し、より多くの人に展示を観てもらおうとする。もちろん私も自身のSNSで展示のお知らせを拡散した。
写真好きのA君はそれに興味を持って、私にコメントをした。
「ちょうど予定が空いてるから観に行くね」
大学1年生の秋、私とA君は半年振りに出会った。なにかロマンスが起こりそうな雰囲気だけれど、なにも起こらなかった。私もA君もそれを求めていなかった。
Aくんは写真を観て、私と軽いおしゃべりをして、それで帰っていった。1回限りだと思っていたら、その後2年間続いた。展示のお知らせをする度、A君は近くない距離を毎回電車で私の大学まで来て、展示を観て、軽いおしゃべりをして帰って行った。
A君からSNSで、彼の専門学校が主宰する展示のお知らせが来たのは大学3年の冬だった。私は嬉しかったし、今まで展示を観に来てくれた恩もある。「絶対行きます」と返事をした。行くつもりだった。
もし行けていたら。もし一言コメントしていたら何かが変わっただろうか
けれどその日はとても寒くて、体調も優れなくて、ついに行くことが出来なかった。
なんとなく気まずくて、行けないと言えなかった。ただ一言「行けなくてごめんね」とSNSにコメントしていれば、何かが変わったかもしれないと今は思う。
A君からも特に連絡は来なかった。どんな思いだったのだろう。その後は就職活動なども重なり、私とA君はコメントを交わすこともなくなった。私はSNSを開かなくなった。一度サークルの展示があったが、それにもあまり力を入れていないこともあり、A君を呼ばなかった。
春になった。久しぶりに開くSNS。A君の友達が、A君のSNSに「連絡ください」という投稿をしていた。
私は疑問に思って、A君のSNSを辿り、A君の名前でSNSの検索をした。A君は、いなくなっていた。SNS上からではなく、この世界から。
私はSNSを閉じた。何かの間違いだと思った。またふらっと帰ってくる。そう考えて、その後は忙しい日常に身を委ねた。数ヶ月経ち、再びSNSを開くと、最悪の結果になっていた。A君のSNS友達が教えてくれた。彼はもうこの世にはいない。と。
永遠に続く虚しいごめんねを彼は見ているのだろうか
彼はなにを思っていたのだろうか。私にはなにも出来なかったのだろうか。様々な感情が溢れて、溢れても行きどころはなくて、落ちていく。
私は今でも謝りたい。「あのとき連絡しなくて、展示に行かなくてごめんなさい」と。
もし言えていたら、なにか変わっていたのだろうか。例えそれでなにも変わらないとしても、ただただ謝りたい。許してくれなくても、非礼を詫びたい。
この後悔は、永遠に続くだろう。虚しいごめんねを、彼は見ているのだろうか。