私はバツ2である。そう聞くと2度も結婚に失敗してもう結婚はこりごりなんじゃないの?と思う方が多いだろう。結婚は墓場、地獄などとはよく言われることである。
だが私は結婚は地獄だけでなく、天国にもなりうると思っている。

そもそもなんで離婚したのか? 1人目はニートネグレクトDV浪費癖、2人目は隠れての多額の借金、そして逮捕である。ただ、原因は述べたとおりなのだが、それ自体が原因というよりはそれを隠して結婚したこと、隠す上での嘘などでの信頼関係の崩壊が本当の原因だと感じている。
実際に借金だけ仮にあったとしたら、私は一緒に返していくために様々な提案をしたと思う。でも元夫は「一緒に悩ませてくれなかった」。

結婚は地獄と天国、どちらにでも転んでしまう

結婚していたとき、私は軒並み穏やかに過ごせていたと思う。私は母子家庭なのだが、母とは馬が合わないため、あけすけに物事を話したりできず心が休まらない。だから新しい家族の存在は本当にありがたかったのだ。
結婚当初の何も問題のないときは幸せだったと言える。

ただ、そこからバツ2になってしまうというのが問題だ。
結婚は地獄でも天国でもない、どちらにも転ぶ檻の中だ。外からは見えづらく、中から外も見づらい檻の中。よその家庭はどうなっているのか?何が世の中のスタンダードなのか?がいまいち掴みづらい。この程度我慢しなくては……と潰れる人がいるのはそういうことだと思う。

結婚生活最大の課題は、結婚生活最初の幸せをどれだけ当たり前にできるか、日常にできるか。価値観の擦り合わせを感情的にならずにできるかだろう。
これさえ実行出来れば、おそらく結婚当初のふわふわした幸せが象られてくれるはずだ。私は2回失敗しているわけだが。この課題はとにかく難しいのだ。
なぜなら価値観の擦り合わせは戦いになりやすく、現代日本人としてありふれた争いを好まない性格を持つ人にとってこの作業は大変な苦痛を伴う。弁が立つ方ばかりが優先されてしまう可能性もある。だからこそお互いがお互いを思いやって、感情的にならず行うべきなのだ。たとえどんなに難しいことだとしても。

高い年収やどんな条件も関係ないぐらい好きな人と結婚して

難しいことを前にしたときに乗り越えられるかは、ありきたりだが相手のことをどれだけ大切に思えるか、愛せるかでしかないと確信している。
私はなんとなく好きという程度で結婚するという舐めた真似をして、痛い目をみたとはっきり言える。どこが好きかはっきり答えられないようなレベルでは、長期間相手との信頼関係の維持をするための労力が出せない。何事もつくるより壊す方が簡単だということを忘れてはならない。

2度の失敗から言えることがあるとすれば、年収や条件なんか度外視していいから、とにかく「その他すべての恋愛対象がどうでもいいくらい好きな人と結婚しろ」である。
好きなら大体のことはなんとかなる。
これは過剰表現ではなく本当にそうで、周りを見ていても好きというだけの理由で色んなことを乗り越えている人たちがたくさんいる。
このとき注意してほしいのは、「ここさえなければいい人」とか良い面だけを評価した好きではなく、嫌いなところを含めてもその人が大好き!と思えるパワーのある「好き」を探して欲しいということだ。
清濁併せ呑んでこそ本物の愛情は生まれ育ち、簡単には折れないこころになってくれる。

2度の離婚から得た真理は「好きというパワーは偉大だ」

結論としては臭い言い回しになってしまうが、本当に好きな人とする結婚は最高ということだ。私自身にそんな3度目がくるかはともかく、好きというパワーは偉大なのだということが失敗から得た真理なのでしょうがない。
誰だって結婚なんて人生の大イベントで失敗したくないだろう。このしがないバツ2の話を信じてくれるのなら、年収や職業など変えられる部分ではなく、人間の根幹を見て結婚は判断して欲しい。年収で選べば一時的に愛せても、仮に相手の年収が下がれば霧散するうえ、上っ面だけの愛はすぐにスタミナ切れを起こす。
結婚は慎重に!など私が言えたことではないし、暴論を吐くなら結婚なんて理性がないときしかできない。
だからこそ、より理性を喪失するような好きな相手を探していこう。