以前は、好きな人や恋人ができるたびに、「この人と結婚したい」と思っていた。結婚は恋愛が最終的に行き着くロマンチックで理想的なものに思えたからだ。そして、結婚している両親を見て育ってきてきたから、大人になったら結婚して家庭を築くのが“普通”であり“理想”であると思っていた。
考えが変わったのは、20代後半になってからだった。
「私は、結婚する必要はない。むしろ、結婚せずにパートナーと一緒にいられる方が幸せなのではないか。」
そう思うようになった理由はいくつかある。
始めのきっかけは、母が父との関係に悩んでいた時期があったことだ。ある日、母と電話をしていると、ずいぶんと気がめいっている様子だった。どうしたのかと聞くと、仕事でストレスを感じているとのことだった。
確かに、以前から母は仕事で悩んでいたが、この時落ち込んでいる理由は、他にもあるように感じた。思いきって、「お父さんとうまくいってないの?」と聞いた。母は、「まぁ、いろいろね」と言うだけであまり細かくは語りたくない様子だった。
そんなに悩むのなら、いっそ離婚した方が母は楽になるのではないか。そう思った私は、「私も妹も働いて手がかからなくなったんだし、離婚したいなら離婚したらいいんじゃないかな?」と母に言った。それに対する母の返事は「うーん」と曖昧だった。
離婚できないのは、世間体が気になったり、離婚した後の生活が大きく変わることが怖いと感じたり、理由はいろいろあるのだと思う。結婚すると簡単には離婚できないものだと、母を見ていて実感した。でも、相手への気持ちが離れても、別れることを決断できずに悩む「結婚」は果たして理想的なのだろうか?
恋人であっても、結婚していても、人の気持ちは変わる
以前の恋人と別れたことも「結婚」が果たして理想か疑問を持つきっかけになった。私は仕事の関係で、遠くに引っ越すことが決まり、それでも「恋人でいたい」と彼に告げた。彼からの回答は「恋人だと、別れた時に疎遠になるから友達でいたい。」だった。
それが、彼の本心かはわからないけれど、結局、引っ越してからは連絡が途絶えてしまった。私は彼に「恋人でいたい」と、形にこだわっていたことを後悔するようになった。
友達なのか、恋人なのか、形は、本当は重要ではなくて、好きな人と良い関係でいることがずっと大切なのではないか。同様に、「結婚というステータスにこだわらずに一緒にいられる方が幸せなのではないか」と思うようになった。
そもそも、恋人であっても、結婚していても、人の気持ちは変わる。それでも、例えば芸能人が不倫をすると激しくバッシングをくらうのは、結婚という制度の中で禁止されている行為だからだろう。“結婚した相手以外との恋愛を許さない”のが結婚という制度。
でも、人の気持ちは変わるものなのにこれって自然なことなのだろうか。
好きな人が、自分以外の人を好きになる。それは、間違いなくつらいことだけれど、失恋を乗り越えた自分が、元カレへの未練も全くなくなって、また誰か別の人を好きになったりする。
相手も自分も、やはり、人の気持ちは変わるのである。そんな“恋愛の自由を縛る”のが結婚と思うと、ロマンチックとは思えない。
好きな彼が価値を置くなら、結婚がロマンチックに思えてくる
引っ越してから、新しい彼ができた。一緒にいると笑うことも多くて、不思議と一人でいる時よりもほっとできる大切な存在である。
彼は自営業をやっていて、働く時間も休みも比較的自由。そんな風に時間に縛られない自由さが気に入っているのだそう。
それでも「仕事と結婚どっちをとるか」という質問に対する彼の答えは「結婚」だった。そんなお気に入りの仕事すら結婚となると手放すことができる。好きな彼が価値を置く「結婚」。そう思うと、結婚がロマンチックなように思えてきた。
さんざん結婚しない理由を挙げたけれど、今はこう思う。
「“彼となら”結婚したい。」