スマホの画面には小さな子供とそれを見てほほ笑む母親の姿。SNSに毎日アップされる、友人とその子供だ。
「今日は公園までお散歩!大分歩けるようになりました」
28歳、いわゆるアラサーの歳なのだから、夫がいて、子供がいても何ら不思議ではない。私はスマホの画面を閉じて、ベッドに入る。

私はいわゆる「地元の進学校」と呼ばれる高校に通い、男子生徒とも競い合う学生生活を送ってきた。大学も、就職しても、男性と互角に競い合える。それが男女平等の時代の、今の「普通」だと思っていた。
バリバリ働く女の方が自立しているし、きっと男性もそんな女性を好むだろう。そう考えていられたのは、20代前半までだった。
「結婚して、子供を産んでもキャリアウーマンでいたい。男性と同等に働きたい」
私が思い描いていた女性像は、婚活をきっかけにいとも簡単に崩れていった。

婚活で出会った男性に生き方を否定された気がした

婚活を始めたのは26歳の時。家庭も仕事も両立できる女になるという夢があったからだ。
それからというもの、仕事が休みの週末は婚活パーティーに参加し続けた。
見ず知らずの男性と、ベルトコンベアーのごとく流れ作業で話をするという機械的なものだ。気が合えばマッチングして連絡先を交換できる。そこで知り合った男性と交際に至ることもあったが、結局誰一人としてゴールには至らなかった。

27歳の夏、パーティーでとある男性と知り合い、それぞれの価値観を話せるまでの仲になった。
それは確か3回目に会った時だったと思う。彼は私にこう言った。
「君は少し考えを変えた方がいいよ」と。
何を言われているかさっぱりわからない私に、彼は続けた。
「女性に求められているものは、バリバリ働くことでも、お金でもない。家事や、子育て、家のことをしてくれることだよ。笑顔で『おかえり』と夫を迎えてくれる妻が、いかに需要があるかだよ。美味しいごはんを作ってくれる女性が、いかに人気があるかだよ」

「でも、今の時代、女も外に出て働くのも大切じゃないですか?結婚しても働いて、稼いで、一人前に生きたほうが良いと思うんです」
私がとっさに反論すると、彼は続けた。

「結局さ、男は子供を産めないんだ。生物学的に。すべてを女性に任せるのは違うと思うけど、ある程度男と女は棲み分けをしないと。それに職場にいるでしょ、結婚してないけどキャリアはある独身女性。うすうすしてると、君もああなるよ。仕事と家庭の両立はかなり難しい。君は今28でしょ?今が売れ時なんだから、すこし柔軟に考えて。そうすればすぐに結婚できるよ」
彼の言葉を、私は黙って聞いていた。
確かに仕事は苦しい。でもやりがいはある。ただ、私の職場にも何らかの理由で結婚をしない独身の女性がいる。
彼の言葉が私の心にグサグサと突き刺さった。
自分の今までの生き方が否定されたようだった。

理想の自分を追い求めて、今日も婚活パーティーに行く

いつの時代も女性に求められるのは良妻賢母なのか、甚だ疑問であった。
ただ、確実に言えるのは自分が思うあるべき自分と、実際にあるべき自分がかけ離れているということだった。
私が地方都市に住んでいるから、都会なら、もっと違う答えが見つかるかもしれない。
ただ、この時代でも一定数彼のような考えをもつ男性はいるようだ。
彼は氷山の一角にすぎなかったのだ。

ベッドに入った私は、もう一度SNSのアプリを開く。別の友人が、妊娠報告の記事を上げていた。
社会であるべき私と、結婚したい私の乖離。
そんな矛盾を心に持ちながら眠りにつく。
明日は婚活パーティー。私の結婚への道のりは長い。