「普通の幸せな生活を送りたいなら、研究者になんてならない方がいい」
「普通の幸せな人生を歩みたいなら博士課程なんていくもんじゃない」
研究者になりたい、だから博士に行きたい。そう言っていた私に大学学部時代の恩師が言ってきた言葉がこれだ。
どうして自分も歩んだ道をそんな風にして否定するんだろう。後悔しているのだろうか。だとしても、それを私に押し付けないで欲しい。当時はそう思った。
仲間は全員就活。「普通じゃない」烙印を押された気がする
現在私は修士課程に進み、修士学生として研究生活を送っている。修士課程は親の反対を無理に押し切って進んだ。進学反対・就職推進を無視して修士に進んだ今、後悔もない訳ではないが、大変ながらも楽しんで研究生活を送っていて、例の恩師のセリフは忘れていた。ところが同じような言葉を今ついている先生からも聞くことになった。
「普通は博士に行くの、止めるんだけどね。」
ショックだった。どうしてみんな博士課程行きを止めようとするんだろう。今回は私が直接止められたわけではなく、世間話として、他の人の博士進学は一度は止めていると言われただけだったけれど、「普通じゃない」烙印を押された気分になってしまった。
とはいえ私に対して直接は止めていないからこそ、もう気にしないようにしようとも思った。
そのまま気にしないでいればよかったものを、現代というのはそうはさせてくれないもの。SNSを使っていると嫌でも、同年代が今何をして生きているのかわかってしまう。それはいとも簡単に。そして知り合いだろうとそうでなかろうと、知ってしまう。
そう、ふと周りを見てみると大学院進学者は思っていたよりも少ない。さらに修士進学仲間は全員就職活動を始めた。つまるところ博士課程に進む人間なんて同学年には自分しかいないのである。
ここで初めて自分の選ぼうとしている道、片足を突っ込んでいる道は普通ではないということに初めて気がつかされた。「普通じゃない」ってこういうこと? 初めて、「普通じゃない」ことに強く不安を覚えた。
達成感。ちょっと生きづらいかもしれないけど、私にとっての幸せ
そしてさらに周囲は意図せず、私の心に追い打ちをかける。中学・高校の頃の友人との再会。でも、誰と会おうと仕事の愚痴は必須事項。
仕事大変そうだな…。
そう思うと同時に私は好き勝手に生きて何をやっているんだろう?そんな気持ちになってしまう。どうしよう。これから先どう生きていったらいいんだろう。普通ってなんだろう? 普通じゃないと人生ちゃんと送れないかもしれない。そんな不安が付きまとった。
他にやりたいことはなんだろう。そう考えたときに思いつくのは小説家。多分、小説家も大衆から見たら普通じゃない。じゃあどうしたらいいんだろう。
そんなことをぐるぐると考えながら一本小説を書き上げた。
達成感。
そうか、と一つ心にすとんと落ちるものがあった。私は考えて、考えて、何かを達成することが好き。自分で考えて何かを仕上げるということが好きで、そうでないとつまらなくて、生きる意味を失ってしまう。少し大袈裟かもしれないけど。
小説を書くことにしろ、研究にしろ、それは経済的に暮らしていくためというよりは私の心が生きていくために大切なことで、そんなことがあるって実は幸せなことなんじゃないだろうか…。
やっぱり私は普通じゃなくていい。ちょっと生きづらいかもしれないけど、それが一番、私にとっては楽しいはずだから。