いつだって目立つのは、存在感のある人だ。声の大きい人だ。かわいい人だ。
「表彰おめでとう!」
嬉しそうにトロフィーを受け取ったのは、私ではない。
同じバレーチームに所属する友達だった。
ポジションを奪った不調の彼女と本調子の私、泣きたいのは私の方だった
社会人チームに2人だけ混ざっていた学生が彼女と私。彼女は私よりも後からチームに加わり、大会への出場を決めたのも締め切り直後だった。
彼女はとてもバレーが上手かった。身長もあるし体格もよい。声も大きくて明るく朗らかだ。
どこをとっても「羨ましい」要素ばかりだった。
そんな彼女とまさかのポジション被り。大会チームのエースを任されていた私はチームの再編でその座を彼女に持っていかれた。悔しい思いはありながらもチーム全体のことを考えてその決定を受け入れ、大会当日を迎えた。
エースとしてチームの期待を背負っていた彼女は、かねてからの練習で腰を痛めていた。当日もそれが影響したのか、本調子ではなかったようだ。いつものパワフルなスパイクはなかなか決まらなかった。
最後まで戦い、私たちのチームは決勝リーグで敗退してしまった。
最後の1点を取られてしまった瞬間彼女は泣き出した。思うようにプレーができないまま終わってしまったことが悔しくてたまらなかったのだろう。
その気持ちはよくわかるが、その時彼女に声をかける気になれなかった。
1番目立つ、1番得点力のあるポジションを譲ったにも関わらず力を発揮してくれなかったことに対して、私は私でとても悔しかったのだ。
「目立つ」だけで評価されていない?そしてスポーツマンシップに反した思いの私
大会後の懇親会で、事前に投票してあったその日のMVPが発表された。
私のチームからは彼女が選ばれていた。確かにその日の会場で、よくも悪くも目立つ選手であったことに異論はない。
鮮やかに点を決めていたが、失点も多かったのだ。対して私は背も高くなく目を引くようなプレーはできないので目立ちこそしなかったが、その日自分のプレーをきちんとこなしていた。
それで「チームへの貢献度で言ったら私の方が上だった。それなのに彼女ばっかり目立つからといってこんな風に脚光を浴びるなんて」と思ってしまったのだった。ずっとチームスポーツをやってきたとは思えない考え方だが、その時の私の心はそう叫んでいた。
目立ちたがり屋な私の性格に起因しているとは思うのだが、いいポジションを持っていかれたこと、それでいて本調子でなかったのに表彰されていたことが悔しかった。いや、悔しいのではなく「羨ましかった」のだ。嫉妬だ。スポーツマンシップはどこへ行った。
「見ている人は見てくれている」その存在に励まされた
そんな私に「あんたが1番安定していた」と声をかけてくれたメンバーがいた。チーム内外の注目が彼女に集まる中、私をしっかり見ていてくれた人がいたのだと知ってとても嬉しかった。救われる思いだった。
世の中ってこういうものなんだろうなと思いながら、目立たない目立ちたがり屋の私は今日もひっそりと生きている。