私は毎日幸せな暮らしを送っている。

平日は大学の講義を受け、友達と遊んで、バイトをして、週末には彼氏とデートをして…そんな毎日を過ごしている。いやいや、至って普通な暮らしじゃないかって?
私も3年前まではそう思っていた。

”幸せ”を”幸せ”とは感じていなかった。
学校に行くのがダルイ、両親がウザイ、そんな事ばかりをぼやいていて、毎日をただただ過ごす高校生だったから。
そんな私を、”毎日が幸せだ”って断言できるような人にしてくれた、ある言葉がある。

初めて訪れたカンボジアで、物乞いをしてくる小さい子供達に出会った

高校三年生の春、私はカンボジアを訪れた。
まず始めに、ホテルのチェックインで首都シェムリアップに向かった。
そこは意外にも小洒落たカフェやレストランが並んでいて、外国人観光客で賑わっていた。私が想像してるより遥かに東南アジアは発展しているんだなあってその時思ったのを覚えている。

次の日は、郊外の集落や孤児院を訪れた。
都心から郊外に向かうにつれて、舗装されていない道が続いた。道中にはペットボトルに黄色い液体を入れて売っている人を何度か見かけ、ガイドさんに問うたらガソリンを販売している人だそうだ。
まるでタイムスリップしたかのような、そんな感覚だった。

車が止まると、物乞いをしてくる小さい子供達が何人もいた。小学3年生の私の妹と同じくらいの歳の子達だっただろうか。
彼らを見ていると胸が熱くなり、もどかしくなった。
例え私がお金を与えても、根本的に彼らの日常が変化する事はないとわかったからだ。
目の前で苦しい生活をしているのを見ていも、結局私にできる事は何もない。
ただの傍観者でしかない、そう感じた。

孤児院で出会った少女は必死に学んだ英語で誇らしげに話してくれた

集落と孤児院に到着すると、現地の人々が暖かく迎えてくれた。

そこで私はある小学5年生の少女に出会った。
その子の両親は出稼ぎで隣国に行っており、彼女だけがカンボジアに残り、孤児院で生活をしていた。カンボジアの母国語クメール語では会話ができないので、彼女は流暢な英語で私に沢山話しかけてくれた。彼女は幸いにも、支援を受けて現地の学校に通っていたので、そこで英語を学んだそうだ。

カンボジアには医者や教育者などの知識層が大残虐された、という残酷な歴史がある。
また、つい最近まで国内紛争が行われていたような国だ。教育者制度や設備環境など全てをとっても日本に優る教育環境があるとは到底言えないだろう。

そんな中、自ら必死に学んだ英語を誇らしげに話す彼女の姿を見て、どれほどの努力を重ねてきたのかを痛感した。
私が学校がダルい、両親がウザいとぼやいている中、彼女はどれほど学校に行きたい、両親に会いたいと思っていたのだろうか。
自分の今までの考えに怒りさえ覚えた瞬間であった。

今、明日を必死にどう生きるのか。カンボジアではそれでもみんなが上を向いている

そんな話をツアーガイドさんと帰りのバスで話していた。
日本人観光客のガイド歴が長い彼は、とても流暢に日本語を話し、日本の文化も沢山知っている、気さくで面白い人だった。そんな彼がいつになく真剣な顔で、カンボジアの現状を話してくれた。
英語、日本語、クメール語が話せるガイドさんはいわゆるトリリンガルである。日本でも彼のように3カ国語話せる人材となったら、大層優遇されるであろう。

しかし、彼の生活は私達の羨むようなものではないと言う。
「水道はまだ通っていないから井戸から水を汲む、洗濯機がないから手洗いしてる。でも自分の生活は全然良い方だ。」と。
その後もそんな話を沢山聞かせてくれて、彼は最後にこう言ったのだ。

『この国には皆さんのように、将来世界でこんな事をしたい、こうなりたい。そんなおっきい夢を掲げる者より、今、明日を必死にどう生きるのかを考えている人ばかりです。でもエネルギーのある国です。みんなが上を向いています。』

私はお金ではなく、大きな夢を子どもたちに与えたい

私は今でもこの言葉が忘れられない。
新聞やテレビ、教科書で発展途上国の国々が厳しい状況下にある事は知っていた。
しかし、優秀な人が上を目指す事すら困難な状況だとは知る由もなかった。

私はただただ平凡に毎日を生きていても、普通に暮らし、普通に生活ができる。
日本のこの家庭に生まれたという理由だけで。

発展途上国が不幸であるという事では決してない。
ただ、私が自分の暮らしに感謝をしていなかっただけである。
私は、自分が置かれている状況がとても幸せなものだと気づかなくてはならない。
そして、世界には夢を追い求めることすら出来ない環境があるという事を学ばなくてはならない。

私は彼の言葉のおかげで、いかに自分がこの環境に甘えていたのかを気付かされた。
充分な環境があるにも関わらず、感謝するどころか何も努力せずただただ不満を垂れ流して生活していたから。
この環境に生まれた事に感謝できるような人間になりたいと思った。
そしてこの環境を生かして、発展途上国で苦しむ人々に手を差し伸べられるような人になりたいと強く思った。

私は今、大学で国際経済学を専攻している。

開発経済学や東南アジアの経済を中心に学び、将来はどんな形であれ発展途上国の発展に携わるつもりである。
そして、あの時物乞いをしてきた、お金を渡す事すらできなかったあの子達に、お金ではなく大きな夢を与えられるような、そんな人になろうと思う。