友達はそれなりにいるほうだと思う。コロナ前は毎週飲みに出掛けて、週末には趣味を楽しんだ。
仕事もそれなりに頑張って、周りの人達との円滑なコミュニケーションを心掛けている。
努めて普通に、普通に。

そんな感じで四半世紀。周りの友達と比べて「普通」ではないのが、彼氏がいたことがなく結婚願望がないことだ。

結婚にも家庭を持つことにも憧れがない。自分らしく生きたい

思えば小さい頃から結婚に憧れたことがなかった。ウエディングドレスが着たいと思ったこ とはあったけれど。
母と祖母の嫁姑バトル、夫婦仲は冷めていて、団欒とは名ばかりの窮屈な生活。結婚は人生の墓場という言葉を知ったときにストンと腑に落ちてしまうくらいには、割と早い段階から結婚に嫌気がさしてしまっていた。

家庭を持つことに憧れが持てなかった。大人になったら自分の好きなようにお金と時間を使って自由に生きていこう。それが私の人生の方向性となった。

一人で生きていけるようにそれなりに勉強して、なんとか一人で立てるようになった。楽しくなくても笑うし、その場の空気を重んじて軽口を叩いて盛り上げることもするから、男女問わずある程度友達はできた。

結婚しなくても幸せになれる時代に、という結婚雑誌のキャッチコピー。正直めちゃくちゃ勇気づけられる。
しかし自分らしく生きたい、そう思うのに反して、これである程度「普通」にみえるかな、そんなことを思いながら生きている自分がいるのだ。

「普通」でいることが何なのかよくわからなくなってくる

適齢期と呼ばれる年頃になり、私の人生に何の責任も負ってくれない人達がとやかく言ってくることが増えた。
それでもこれでいい、これがいいと自分では思っているつもりだ。それでも、なんとなく迷いがあるのはなぜなんだろう。

インスタで友達の結婚報告を見過ぎだから? まだいい人に出会えてないだけだよ、そんな言葉が胸に刺さったから?自分でもよくわからない。

元々根暗な性質であるから、社会で毎日8時間「普通」に振る舞おうとすると嫌でも疲れて、「普通」でいることが何なのかよくわからなくなってくる。

私が迷うのは、自分に正直に生きれていないからなのかもしれない

本当は自分が幸せであればそれでいいのに。
私が迷うのは、今自分に正直に生きれていないからなのかもしれない。「普通」に見られたくてバカみたいに出たあの飲み会は、友達付き合いは、本当に私が欲しいものなんだろうか。

コロナでまた自粛期間に入り、人に会うことが減った。こんな思考を半身浴しながらこねくり回すくらいには、一人の時間も増えた。

生きていくうちに価値観が変わる経験はこの短い人生でもしてきたし、人生何が起こるかわからないものだから、これからどうなるのかはわからない。

この鬱々としコロナ禍を抜けたら、アラサーは多少図々しく強かに、自分らしく生きていきたい。