私は、体育の授業が大嫌いだった。
小中校の12年間、好きな教科に変化はあったけれど、嫌いな教科はずっと体育だった。「私は運動ができない」と思っていたから、大学のとき、スポーツの授業があったときに、自分が楽しい!と自然に思ったことには驚いた。
それは、他の学生と比べない、自分の健康増進を目的とした授業内容だったからだと気づいた。そして現在は、毎日家で簡単な筋トレや、ストレッチをしている。
つまり、他の人と運動能力を比べられることが嫌だったのだ。自分の健康のため、と思えば、それほど苦ではないということがわかった。もちろん、学校の体育の授業も、生徒の体力づくりや健康増進が目的ではあるのだろうが、その手段が常に、他者との競争、であったから、私は嫌いだったのだ。
体育がきらいだった理由は、運動神経の悪さだけではなく…
私が走るのが遅かったり、高い跳び箱が飛べなかったり、鉄棒で逆上がりができなかったりと、運動が苦手だったことも、もちろん体育が好きになれなかった理由のひとつではある。しかし、それに輪をかけたのが、体育教師の存在でもあった。
もちろん全員とは言わないが、体育教師は、もともと運動できる人がほとんどなのだ。だからこそ、運動ができない生徒の気持ちはわからない。言葉で明らかに差別をしたりすることはしないものの、能力別のグループ分けや、お手本を見せるために、運動ができるお気に入りの生徒を選んだりしていたことの映像は、あざやかに覚えている。
なかでも、とある体育教師は大人になった今でも忘れることができない。それは、その人が私に放ったひとことが原因だ。その人は、若く見た目も良かったため、生徒から人気があった。しかし、体育ができない生徒には、つめたかった。
それは、夏の時期にあったプールの授業でのことだ。私は、ある日生理が重なり、見学せざるを得なかった。生徒がうそをつかないために、生理であることは紙に書いて提出する決まりとなっていた。私は、タイミングが悪く、二回連続生理でプールの授業を見学する必要があったのだが、その二回目のとき、私が提出した紙を見たその教師は、「○○、この前も見学だったよね。ちょっと、対策するとかして、今後はこんなに多くないようにして」と言ったのだ。
私は、その場で凍り付いた。何も言い返すことができなかった。
もちろんそのとき生理だったのは間違いないし、見学した分は補習があったため、できるだけ見学したくなかった。やむなく見学を申し出たのに、その教師の心無い一言に深く傷ついた。その人の言った、“対策”というものが、タンポンの使用なのか、ほかの何なのか、まったくわからない。しかし、それは本人の自由であり、決して他人である体育教師が指図できることではないのではないかと思う。
どんな気持ちで放った言葉だったのか、今となってはわからないけど
その人が、どんな気持ちであの一言を放ったのか、わからない。きっと、深い意味はないのだろう。私が、何年経った今でも覚えていることだって、笑ってばかにするかもしれない。もしかしたら、後々補習となることがかわいそうだから、アドバイスのつもりで言ったのかもしれない。悪気なんて、一切なかったのかもしれない。
今となっては、何もわからない。
この体育教師への不信感が、長い学生時代の体育嫌いを確固なものとした。このひとことがなければ、大学生のときに気付けたように、「これは自分の身体にいいことなんだ」とおもえて、体育の授業だって楽しめたかもしれない。
言葉はするどい刃物だ。往々にして、ひどい言葉を投げた側は、すぐに忘れてしまう。自分の言葉が相手に与えた大きな意味を、考えることもない。これは、私自身も気を付けなければならないと思う。どんな人も、被害者にも、加害者にもなりうると思っている。