「日常」と「非日常」どちらが好き?
そう聞かれたらあなたはどう答えるだろうか。

穏やかでゆったりとして日常が好きという人も、
刺激がいっぱいでキラキラした非日常が好きという人も、
両者があるからこそ人生が楽しいという人もいるだろう。

私は「非日常」が大好きだ。
だから、学生から長期休みになるとバックパックで海外のに出かけては「非日常」を楽しんでいた。
社会人になってもその非日常好きは変わらず、刺激を求めてはイベントに参加したり、シェアハウスに住んだりした。

それでも、毎日の大半を埋め尽くしているのは「日常」だ。
毎日7時に鳴るアラームをしぶしぶ止めて、メイクをして、いつもと同じ時間の電車に乗って、いつもと同じ椅子に座る。

いつもの日常を楽しく過ごせるようになりたい

変わり映えのしない日々に苦しんでいた私だが、最近は毎日が楽しい。
その理由を書いていきたいと思う。
なんてことのない些細なことだが、代わり映えのしない日々に苦しんでいる人のヒントになったら嬉しく思う。

学生時代から、非日常を追い求めて海外旅行にでかけていた。

朝起きて、街を歩く。
スーパーで昼ごはんを買う。
ベッドの上で本を読む。

自分の行動も、街にありふれているモノも全てが新鮮で、私はことあるごとにシャッターを切った。目の前にあるものがキラキラして、毎秒が楽しかったのだ。

でも、短い旅から帰ると目の前にあるのは、残酷なほどの日常。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日、明日と同じ明後日、そんな毎日が辛かった。
「じゃあ、仕事をやめて世界一周にでも出たら?」という声が聞こえてきそうだが、帰国したらきっとまた日常が待っている。
だから私は「いつもの日常を楽しく過ごせるようになりたい」そう思っていた。

私にとっての日常は、誰かにとっての非日常かもしれない

ある時、家の近くの自動販売機の写真を撮っている人達を見かけた。
彼らは観光客で、自動販売機の写真をキラキラしたまなざしで見上げ、何枚も写真に収めていた。そして、とても嬉しそうに飲み物を買っていた。

私は彼らの行動が不思議だったけれど、家に帰ってから、「海外に行くとき、私も同じことをしているかも......」と思った。

道路の標識、スーパーに並ぶモノ、電車やバス。
そこに住んでいる人にとっては当たり前の風景だとしても、私には新鮮で素敵なものだった。私の非日常は、彼らにとっての日常で、私にとっての日常は、彼らにとっての非日常なのだと気づいた。

私は私にしかなれないけど、他の人になりきってみることはできる

それからは、ふとした時に目を閉じて「誰か」になりきる遊びをしている。

日本に来ることを夢見てはじめて日本に来た外国の人。
30年ぶりにふるさとにもどってきたおばあちゃん。
転勤が決まり、感傷に浸っている会社員。

そうやって架空の人の視点を自分の中につくってみると、いつもの帰り道が全く違う景色に見える。毎日見るお店の看板すら写真を撮りたくなるし、「こんな建物あったっけ?」と新しい発見がある。空の色にすら感動してしまうこともある。

「毎日が同じでつまらない」
そんな悩みは誰にだってあるはずだ。日常から抜け出し、いっときの非日常を味わう方法はいくらでもある。
だけど、私たちは非日常の中だけに生きることはできないから、日常をどうやって楽しむかを考えることが必要だと思う。

“目を閉じて架空の人物になりきってみる”なんてばかげているかもしれないけれど、
自分の中に、他の人の視点を持って毎日を見ると色々な発見があって、楽しい。

私は私にしかなれないけど、他の人になりきってみることで見えてくるものがあるはず。
それは、日常に隠れているキラキラとしたものを私たちに教えてくれるかもしれない。