私は恩人の彼らに出逢って、生まれてはじめて生きていることが楽しいと思えるようになった。
きっかけは母の影響かドラマか分からないが、幼い頃に私は嵐と櫻井翔くんに出逢い好きになる。
そこから彼らによって私の歩く道が照らされた。まさに道標で光のような存在。大好きな人たち。その嵐を見る私の様子から夫には、私は嵐のことを話すときイキイキしていて楽しそうだ、嵐には勝てないと言われる。

楽しくなかった毎日も、嵐の存在が楽しい、生きたいと思わせてくれた

嵐に出逢った頃の私は、不登校児で居場所がなく毎日が楽しくなかった。その後も高校大学と学業不振、人間関係のトラブルが絶えずで中途退学をする。成人した現在も就職してから体調をくずし退職している。
楽しいとは真逆な人生だけれど、唯一楽しい生きたいと思わせてくれる存在が嵐だった。

どれだけ自分を取り巻く環境がつらくても、テレビをつけると嵐がいたことで笑顔になれた。
現場(コンサート)は座席関係なく、彼らだけではなくペンライトの海も何もかもがキラキラしていて目に入るもの全てが眩しい。

私は現場に行くことは自分への最大のご褒美だと思っている。だからなのか、何回も現場に入ったことのある今でも必ず登場だけで泣いてしまい1曲目の記憶が毎回無い。
年に1回行けるか行けないかのその現場ために、日々の生活を自分の最大限に頑張ることができた。彼らが、すべて私の栄養分になっていた。

私の人生のどの場面にも嵐が必ず存在していて、私をどんなときも支えてくれる唯一無二の存在。
だから、2019年1月に活動休止が発表された時、頭が真っ白になった。けれど、そんな絶望感から救い出してくれたのも彼らと彼らが紡ぐたくさんの言葉だった。

31日最後の日、私はどんな顔で特別な存在の彼らを見ているだろう

最近コロナで延期になっていた念願の、嵐を旅する展覧会に行くことができた。
推し本人はいないのにできる限りのオシャレをした。その展覧会でふと思った。嵐自体が夢の国だな、と。
嵐のコンサートは夢の国だとよく例えられる。けれども、ひとりひとりが夢の国の住人で、嵐として5人集まった時にそこが夢の国になるのかもしれないと思った。
本当にキラキラしていてパワースポットのような人たちだなと、改めて感じた。

嵐は他の推しとは一線を画す特別な存在。
推しというより、私の人生と伴走するような距離で存在していた。
櫻井翔くんは嵐のグループ活動休止後も番組出演、レギュラー番組が決まっている。それは分かってる。けど、それでも、あと5日で私の人生と伴走していた嵐という存在が欠けてしまうその現実にどうしようもなく寂しさと不安を感じる。

残り数日、目の前の画面に映る、歌って踊り伝えてくれる彼らは、最高に最高にキラキラと輝いている。
その画面を見て涙を流している私は、31日最後の日、泣きすぎて顔が別人になっているかもしれない。

嵐からの笑顔のプレゼントを受け取り、彼らへありがとうと愛を叫びたい

5人は最後まで笑顔で走りきると言っていた。こちらが寂しく思わないようにと残された日々にも笑顔になれるたくさんのプレゼントを届けてくれる。そのプレゼントを受け取って、すごく寂しいのにすごく嬉しくて笑顔になっている自分がいる。
私は31日が来るのがすごく嫌でしょうがないし、本当に時が止まればいいとさえ思っている。けれど、その反面、31日の彼らはどんなものを見せてくれるのだろうかとわくわくしている自分もいる。

推しは推せる時に推せ。
こんなにも好きになる人に出逢うことは二度とないと、嵐に出逢って感じた。彼らより大きな愛はどこにもなく、彼らにはずっと笑っていて欲しいと、本当に嵐に伝えたい。
私ができることは、ありったけのありがとうという気持ちと愛を叫びつづけることだけ。
「今年かなえられなかった夢の数々をいつか取りにいく」その時が来るまで。