結婚、どう思う?
そんな簡素な言葉が、自分に問いかけるものになるまで随分かかったものである。
私は20代で看護師になり、沢山の家族の形を見たつもりになっていたから。だからこそ結婚は怖いものであり、重いものという考えが根本にあったように思う。

自分が結婚というものを意識したのは友人の入籍だった。
何年も付き合い同棲をし、入籍した友人。当時の私はそれは当たり前のことであると思っていたし、それは良いものだと思っていた。
ただ不意に襲われた焦燥感をもって、結婚をしたいのか分からないまま婚活アプリに登録をした。

私の婚活は人にわざわざ言えるものでもなく、何人かと出会い食事をした程度。
看護師という職を隠していたが、出会うたびに看護師とバレては目を輝かせられていた。看護師という職には魔力があったようにも見える。
おそらく、優しさや母性、その後の親類への介護や何かもあったのかもしれない。それを薄らと感じていた。だからこそそれを覗かせた男性に対し、不快感があった。

「この人と結婚する」二度目の食事で感じた男性と結婚を決めた

出会った男性の中で唯一、看護師という言葉を流した男性と二度目に食事に行った。その食事で出されたコーヒーを飲んだ時、私は初めて感じた。
「この人と結婚するんだ」
ただの直感である。でも実際本当にその後結婚したため直感もバカにならない。
あれよあれよと交際をし、婚活が終了。すぐに結婚が決まった。

結婚をしたいかわからないまま、結婚が決まった私は幸福感と不安感が混じっていた。
そんな時、私は前述で入籍をした友人に会って話をする機会があった。友人は少しずつ自分が結婚を決めた時の話をしてくれた。

彼の友人が事故に遭い、その彼の同棲していた彼女が警察に不審がられたこと。法的な守りのない事実婚状態であれば、何の責任も持たないこと。もし結婚をしていたら、妻として別の見方でみてもらえていただろうこと。
そのことが2人の関係性を見直すきっかけになり、入籍に至ったこと。

話はよく理解できた。病院で仕事をしていると生命に関わる書類もあり、そのサインは基本的に家族しかできない。婚約者や事実婚の配偶者はサインを書けず、書類提出に困り悩んでいた患者を沢山見てきたからである。

では、自分が結婚したら夫である人間が生命の危機に瀕した時自分がサインをする?
自分のせいで夫が延命できなかったり、延命されても幸せになれなかったりする可能性があるのでは。

相手を大切に思うだけでは通じない場面は確かにある

当たり前のことが、とても怖くなった。友人はそれを聞いて冷静に言った。

「自分も、相手に同じ責任を負わせている」

とても優しく冷たい言葉に感じた。
確かに、自分が命の危機に瀕している際サインをするのは夫である。それが、自分にとってどんな結果になったとしても夫が選んだ道である。

もしこのまま婚約状態のままなら、今の日本にいる以上、法的な根拠もなく助けてもらえない。書類にサインは出来ないかもしれないし、命の危機に部屋にすら入れてもらえないということか。
事実婚と認められる同居数年の間に、そのようなことが起きないとも限らない。
感染症も蔓延し、病気や事故が怖いこの時代にそんな怖いことがあるだろうか。
自分はそれはとても辛いと感じた。相手を大切に思うだけでは通じないものが、そこにはあると思ったのだ。

結婚というものが多種多様な現在の日本で、法的な根拠である入籍という形を取ったのは我々2人である。
冒頭に書いた重さというものはもちろん感じるし、苗字が変わり沢山の書類上の仕事も増え頭を抱えたシーンもある。
そんなトラブルを増やしても、私は思うのである。
結婚、どう思う?
してもいいんじゃないかな。ちょっと覚悟はいるけれど。